鮮やかな緑色

 

決まった時に聴きたい曲ってあると思う。私だけかな。わかんないけど。

晴れた日に聴きたい曲についてはこの中で書いたけれど、他にも色々な時に頭の中に流れて、聴きたいなぁって思う曲が少なくとも私にはある。

 

そんな特定の曲が聴きたくなる時の中でも、自分でもちょっと変かもしれないなと思うのが、じゃがいもを剥いている時だ。ニンジンでも玉ねぎでもない。じゃがいも。この時点でピンときた人はちょっといるかもしれない。

私はじゃがいもを剥いている時、ASIAN KUNG-HU GENERATIONの『ソラニン』が聴きたくなる。

ずーっと頭の中に流れて、スマホから流してそうそうこれこれ、となる。なんでかというのは説明するまでもないとは思うが、タイトルであるソラニンがじゃがいもの毒だからだ。

この曲はたぶんそこそこ有名だと思う。浅野いにおの『ソラニン』が映画化した際に作品中で登場するバンド曲を、主演である宮崎あおいがギタボで歌って話題になった。

 

その日もじゃがいもを手に取って洗って剥こうとした時に、頭の中に『ソラニン』が流れ始めた。手を一旦洗ってスマホを片手でいじり、実際に流し始める。

曲は知っているものの、映画の『ソラニン』は観たことがない。メインのキャラを誰が演じているくらいまでしか知らない。

それでも漫画は読んだことある。持っていたわけではないので、どこで読んだかなぁと思いながらピーラーをじゃがいもの上に滑らせる。土の匂いがする茶色い皮の下がめくれ、鮮やかな緑色が顔を出した。

うお、ソラニンだ。

最近、キウイのような緑のじゃがいもの写真と共に注意喚起をしているツイートを見た。怖い怖いとは小さい頃から聞いていたけれど、そのツイートでより怖くなったので注意深く皮を剥く。幸い、緑色の部分をもう一回ピーラーをかけたら薄黄色の本来の芋の色になった。このままでいけそうだ。

一つ剥ききる頃には既に曲は終わっていて、その流れのアーティストの曲がストリーミングで流れている。結構聴いてきた曲がかなり偏っているので、実は邦ロック登竜門的扱いのアジカンを私は通ってきていない。知っている曲は片手で数えられる程度だ。それなので、その辺りのアーティストの曲も知らない。名前だけ知っているアーティストの知らん曲が延々と流れている。解散したとだけ知っているアーティストの曲も流れていて、全然知らないのに少し寂しい気持ちになった。

剥いたじゃがいもを2個、濡らしたキッチンペーパーにくるんでレンジでチン。器に出して、最近買ったマッシャーで潰す。ポテトサラダが食べたい。なので作る。初めて作る。そのためのキュウリとベーコンもある。だいぶ前に作ろうと思って買っていたのだが、ここ数日夜勤が多かったので料理をしていなかった。冷蔵庫の隅で少しシワシワになったキュウリをスライサーでシャシャシャッと片付けて塩揉み。ベーコンはカリカリにしたろ!と思ってジリジリ焼いた。

実家のポテトサラダは顆粒だしが入っていた。顆粒だしを母は結構よく使っていて、中でも卵サンドは絶品だった。ポテトサラダも美味しいんだけれど、なんとなく私オリジナルが欲しくてマスタードを入れてみた。結果後悔した。美味しくなくはないけれど、無い方がよかった。

 

 

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無駄に一眼で撮ってみた。

これが『ソラニン』を聴きながら皮を剥いたじゃがいもで作ったポテトサラダです。

 

記憶を辿っていくと、『ソラニン』を読んだのは高校の図書館だったことを思い出した。

あの学校の図書館の漫画のラインナップ、謎だったな、、、

 

食べた後数時間経ってもお腹が痛くなることはなかったので、ソラニンはうまく取り除けていたようだった。めでたし。

 

 

レンズ越しの春

 

実は冬のボーナスで一眼レフカメラを買っていた。ミラーレスだけど。

なぜ今このタイミングで言うのかというと、買った直後からなんとなくずっと多忙が続き、外に持ち出せたことがなかったからだ。

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記念すべき一枚目はこの写真だが、ただのベッドサイドテーブルの夜の写真なだけ。ピントもぼやけている。たしか普通に試し撮りをしただけだと思うが、残りの写真も部屋の一角を数枚撮っているだけだ。

 

先日の汽車の街への旅行で持っていけばよかったのはわかっているのだけれど、なんならその旅に間に合わせるために買ったまであるのだけれど、荷物が増えるのが嫌で直前まで迷って家に置いてきてしまった。荷物が増えるのが嫌な人に、カメラを持つ資格はないのかもしれない。

 

とはいえせっかく結構な金額を出して買ったのに何も使っていないのはさすがにもったいない。そんなことを思いつつ、気づいたら春が来ていた。

春か。

インスタに数々流れる桜の写真。

桜か。

桜だ!

 

ちょっと歩いたところに公園があるので、そこにカメラを持って桜を撮りに行こう。幸い明日は予定のない休みだ。午前中にネットで買った靴とベストが届くし、それらもついでに身につけて行こう。

そう意気込んで眠った翌朝。空は青く晴れていて撮影日和というやつだが、なかなか配達が届かない。そんな時に母からメールが届く。「何かが届いたけど何かわかる?」慌てて注文メールを見ると、靴の配達先が実家になっていた。やってしまった。と思った直後にピンポンが鳴り、ベストが届いた。靴は諦めた。

適当に作ったチャーハンを食べ、着替えてベストを羽織り、首からカメラを下げてみる。それっぽい!「それっぽい」と思っている時点で「それ」ではないのかもしれないし、そもそも「それ」ってなんなのかもわかんないけれど、かなり「それっぽい」。ウキウキで外に出て、公園へ向かう。

が、その途中にゆらゆらと揺れる白くてうっすら桃色の、ふさふさとした枝が建物の隙間から見えた。あそこ、桜咲いてるじゃん!何回か行った公園へ向かうルートではないけれど、あっちに寄り道してから公園へ向かおう。足の向きを変えて歩き出す。

すると。

 

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満開の立派な桜がずらりと並んでいた。桜並木だ。

すごい。

結構人もいて、カメラを向けている人も多い。

私も慌ててカメラを構える。

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ぜ、全然うまく撮れない、、、、

 

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花をアップにして撮ったりしてみてもなかなか思うようには撮れない。


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川が流れていたので水面に桜が写るか?とも思ったけど写っていなかったし、なんなら写真には水面すら写っていない。


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鴨がいた。桜が画角にちょうど入らないくらいのポジションにいた。

 

うーん?と首を傾げながら写真を撮る私をよそに、色々な人が桜を眺めながらニコニコしていた。

「満開だねぇ」「ちょうどよかったねぇ」「明日雨らしいから今日見れてよかったねぇ」と話すマダムたち。

私よりも明らかにお金がかかった望遠レンズを構える、明らかに年下の少年。

桜よりも松ぼっくりに夢中な小さい女の子と、そんな孫を微笑みながら見守り、見守りながら桜の写真を撮るお爺さん。

歓声をあげながら通り過ぎる、自転車に乗ったお母さんと幼稚園生。

春が来たね。桜が満開だね。それだけで嬉しいね。

 

写真はまだまだ修行が足りないけれど、春に心を躍らせて桜を見上げる人たちの中で同じように桜を見上げられたのは、かなりいい春の始めの迎え方だと思った。

こんなに立派な桜並木のある街、いいわね、、、、

いつ異動するかわからないけれど、この初めて一人で暮らした桜並木のある街のことは、ずっと大切な思い出として残るんだろうな。

 

桜並木の先の公園は、桜の木はそんなに生えていなかった。

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鴨がいた。

 

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桜と鴨。

 

公園にたどり着く頃には、青い空は雲に覆われてしまった。少し肌寒い。

 

もう一回桜並木を通って帰った。

 

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青空の方が映えますね。

 

 

今年の春もいい春だといいな。

 

とりあえず実家に靴を取りに行かなきゃ、、、

 

 

育ってきた環境が違うから

 

他人の嫌いな食べ物は、大抵は理解しあえるものではない。嫌いな理由を聞いても、ピンと来ないことの方が多い。しかし、思いがけず面白いエピソードや物の見方を聞けることもある。

 

中学生の時にクラスで一緒だった女の子。オシャレで絵もうまいし、なんというかセンスに溢れていた子。修学旅行の部屋が一緒で仲良くなったのだけれど、そんな彼女はトマトが嫌いだった。理由はシンプルに、気持ち悪いから。彼女が放った「あのプチプチの種、絶対宇宙人の卵じゃん」という超絶パワーワードを、私はどうしても忘れることができない。確かになかなか無い色の膜に覆われてるよな、、、

彼女のパワーワードを超える理由にはまだ出会えていないが、他人の嫌いな食べ物の話を聞くのは好き。覚えておくと色々と便利だし。

 

そんな私は、基本的には好き嫌いはない。食卓に並ぶレギュラーメンバーは全然普通に食べられる。ピーマンもキノコもナスもトマトも普通に好き。パクチーもセロリも嫌いではない。「嫌いな食べ物は?」と聞かれると、ちょっと悩む。でもその後すぐに「蜂蜜」と答える。大抵は怪訝な顔をされる。たぶん、珍しいから。

 

正確に言えば "アカシアの" 蜂蜜が嫌い。他の花の蜂蜜ならそんなでもない。後輩に誘われたお店が、机に色んな蜂蜜が置かれていて肉とかにかけて食べる蜂蜜レストランだったことがあるが、断れずに行って食べてみたら普通に美味しかった。バンドサークルの合宿所で売ってたミカンの蜂蜜も美味しかった。どうしてもダメなのは、一番手頃な価格帯でスーパーに売っているアカシアの花の蜂蜜だけだ。このアカシアの花の蜂蜜が、蜂蜜市場のシェアNo.1なのでとても困る。

 

思い当たるきっかけは二つ。一つ目はそんな大したことではない。小学校の給食で食パンにかける用として出てくる、絵の具のチューブみたいな蜂蜜が臭くて臭くて食べられなかった。これがまず第一のきっかけ。

もう一つのきっかけは、母の優しさだった。母が、私が喉が痛いと言った日に仕込み、翌朝出してくれたもの。落語家が喉を痛めた時に飲んでるってテレビで言ってたから喉にかなりいいのよ〜といって手渡された、小さいペットボトル。中には蜂蜜に漬けられた刻み大根。この大根からでるエキスを飲むのだが、これがまぁかなり、、、、、、良かれと思ってやってくれてるのはわかるのだけど、もう言ってしまえば拷問だった。残すと申し訳ないので、何回か吐きそうになりながら全部飲む(といってもかなりの少量だけど)。大根を食べてもいいのよ〜と言われたけど、とても食べられそうになかった。

喉が痛いと言うとしばらくの間これを出される日々が続いたので、気軽に言えなくなった。あんまり覚えてないけれど、確かアレだけは本当にやめてほしいと言ったような気がする。アレが出されたのは一時期だけだった。

 

基本的な食材は全部食べられる。でも、アカシアの蜂蜜だけはどうしても無理。市場のシェアNo.1だとしても無理。大学生で喉を壊した時、蜂蜜を舐めるといいと調べたら出てきたのでスーパーで買って、さすがにもう食べられるようになっただろうとペロっと舐めただけでもう無理だった。ジューススタンドで買った巨峰のジュースの味の奥深くに蜂蜜を感じて、悲しくなったこともある。この歳になって無理ってことは、たぶん今後もずっと無理。

 

最近料理をするようになってから、蜂蜜を使うレシピをよく見かける。砂糖じゃダメなの?と思う。蜂蜜の風味はちゃんと飛ぶのか?どれくらい蜂蜜の味するのか?と、レシピに明記してほしい。蜂蜜は腐らないらしいので、料理に使うだけの用途でも問題はなさそうではあるが。

未だに蜂蜜を買う勇気も、料理に使う勇気も出ない。

 

 

回せよ回せ

 

以前、セルフメンタルケアの講義を受けたことがある。ほかの外部の講師たちに比べて圧倒的に講義が上手だった講師が、大切なことは自分なりのストレス発散法を見つけることだ、と言っていたのをなぜかよく覚えている。

その時は、お金をかけない方法で考えてみましょうと言われたので、自分は何かなぁと考えた結果「BUMPの曲をシャッフルで流して1人イントロドンをしながら歩くこと」というのが一番私にとってストレス発散になると結論づけた。

自分なりの方法を見つける、というのは確かに大切なことだったかもしれない。自分にとって、これがストレス発散法になるんだと自覚すると、何かと疲れたりした時に考えることなくできるからだ。「ハ〜〜無理!!」となった時に「BUMPイントロドンするぞ!!」ってできる。まぁ思い立つ前にApple Musicを漁ることの方が多いけど。

ちなみに、よく聴くアルバムも偏っていたりするので答えられない曲も結構ある。知ってるけどタイトルが出ないこととか。そんな時も、なんだっけ〜ってなった後に画面をみて、そうそうこれこれ〜〜ってなるだけ。別に覚えようとするわけじゃない。完全に脳のメモリはオフ状態。

 

とはいえ、これはストレス発散の超初期段階なわけで、この方法では救えない根深いものもある。最近の沈んだ気持ちとかがそうだ。

 

そうなってしまうと、もうどうしようもない。

そうなった私には、もう、お金を使うしかない。

散財買い物祭りの幕開けだ。

 

高校生くらいの頃からそうだった。

あの頃は、何かストレスを感じることがあるとお気に入りのアクセサリーショップに駆け込んでネックレスを買ったり、ディズニーストアで好きなキャラのグッズを買ったりしていた。

大学ではネックレスよりもイヤリングをよく買っていた。本当は父が許さないピアスをずーっと開けたかったけれど、イヤリングを集めすぎて今更開けなくてもいいか、となったのはこの頃だ。今でもイヤリングがアクセサリーの中で一番好き。まだまだ数は増え続けている。無印良品のアクセサリースタンドは、今までの人生で買ってよかったランキングの上位に食い込むけれど、そろそろ枠が足りなくなってきている。

社会人になった今、アクセサリーだけではなくコスメやら服やらにも手を出し始め、一人暮らしを始めてからはインテリアやら料理用品やらも容易に買ってしまうようになった。さすがに床面積は限られているので、インテリアは自重するようになったが。

特にコスメはキリがない。どんどん新作が出る。怖い。情報がSNSに溢れている。どんどん欲しいものが増える。怖い。売り場に行くと結構店員さんに乗せられて想定より多く買わされる。すごい。怖い。今月結構買ってしまった。やばい。さすがにやばいので、後輩に「GW前までコスメは買いません」と誓った。ウケる。後輩もウケてた。「私、先輩が買ってたらちゃんと叱りますね!」と言ってくれた。心強い。基礎化粧品系は必需品なので誓約対象外にしてもらった。優しい。

 

その後輩は、私よりも結構年下なのにかなり倹約家だ。一人暮らしを始めて3、4ヶ月経っても掃除機を買うのを躊躇っていたし、店先で試着した服をあとでネットで安く買ったりするらしい。支払いは絶対電子決済。何故ならポイントが付くから。カードはもちろん還元率が高いあのパンダのカードだ。私はあのパンダは尻尾が黒いのでアンチだが。

私のストレス発散法はお金を使うことだけど、彼女のストレス発散法はお金を使わずにいることらしい。

さすがに彼女ほどのレベルに到達するのは、育ってきた環境的に不可能なのはわかっている。でも見習うべき点も多いよなぁと思う。

 

家計簿をつけ始めて3ヶ月。つけること自体は苦ではないが、ストレス発散としてお金を使うことに対して罪悪感というか、「今日こんなに使っちゃったよ、、」という後味の悪さが残ることがキツい。

いつまで続くかなぁ、、と思いながら、今日も最近の気候に合わせた服を買ってしまうのが私らしいっちゃ私らしい。

 

もういっそ開き直ってしまおう、そうしよう。

 

私から私へ

 

実家の部屋を片付けるよう、母から連絡が入った。

毎度の引っ越す引っ越す詐欺(と勝手に呼んでいる)に加えて、ゴミ捨ての制度が変わってしまうらしい。それゆえに今月中にできれば来て整理して、と言われた。ちょうど姉と連絡を取っていたところだった上に、繁忙期の皺寄せでたまたま三連休だったので、姉と予定を合わせて帰省することができた。

 

とはいえ前日の仕事終わりが遅かったため、起床したのは正午ごろ。期限がギリギリの納豆を食べて、片付けてから準備をしたら家を出るのが14時過ぎになってしまった。ちょうどその頃姉は実家に着いたらしい。

私が実家の最寄りに着いたのは16時前。そのまま両親の買い物に付き合い、家に着いたのは17時とかだった。

姉はモリモリと整理をしていたらしい。姉の部屋は私の部屋と比べて結構、、、だったので、この帰省でどれくらい物が減るんだろうと思っていた。

 

夕飯前に少しやるか、と思って本棚の引き出しを開けたら "プリ帳" が出てきた。

プリ帳とは、プリクラを貼って保存してある、いわばシール帳なのだが。

プリ帳はやばい。まさに玉手箱だ。

小学生くらいの頃からプリクラを撮るのが流行っていたので、それこそ1ページ目はマジの児童時代の幼き私のオンパレード。落書きが終わってる。髪型もやばい。服のセンスもお下がりだらけで相当迷子。

ヒィ〜〜〜www と思いながらページをめくっていくと、中学生になった。

中学の部活の仲間はオシャレに命をかけていたので、オシャレに興味がなかった小学生の私のままではダメだった。「遊ぶ時いっつもおんなじ服着てない?w」と言われたりして、なにくそ〜〜!と色々頑張り始めたころ。とはいえ彼女らとはそんな感じだったのに、未だに仲良く関係が続いているのが不思議、、、、あと、卒業間際はかなり受験太りしたのでもうまんまるだった。ひどい。

高校生になると、大半は制服で写っていた。学校終わりとか行事終わりとかで撮りに行っていたので。高校に入りたての頃は落書きで "JK!" というワードばかり書いていて、見ているこっちが恥ずかしくなった。また、体育祭の関係で人生で最初で最後の金髪プリもあった。クソほど似合ってない。ピンク入れた後のプリも撮ればよかったな、、、、

大学に入ってからはもうページがなくなって、3年くらいからは貼らずに挟んでいるだけだった。大学ですら疎遠の人が多くて笑ってしまう。最後に撮ったのは今も仲良くしてくれてる2人が就活する直前に撮ったやつだった。院受験した私も前髪を伸ばして就活生に擬態していたので、みんな似たような髪をしていた。

 

おわかりだろうか。ここでかなり時間が飛んだのを。

今回私は思い出に浸りにきたわけではない。掃除をしにきたのだ。

ついうっかりプリ帳を開いてしまったばっかりに掃除あるあるを体現してしまった、、、

 

 

二日目、ちゃんと起きたので作業に取りかかる。二泊してもいいのだが、翌日夜に予定もあるし燃えるゴミも出してないので、タイムリミットはこの日の夜までだ。

今の私の部屋は父がリモートワークをするのに使っているので、勉強机は父のラップトップやらPCやらが置かれ、私がずっと置いていた本などは全て紙袋に入れられて部屋の隅に追いやられている。

紙袋は魔だ。うちの親は何かを片付けたい時、大体紙袋に入れてしまう。洗濯してもらってからすぐにタンスにしまわないと、よく紙袋に入れられた。

色々なものがごちゃごちゃに入った紙袋の中身をもう一度開いて整理するのが、なんだかとてもイヤだった。それゆえ紙袋に入れないでくれとよく母と喧嘩した。

今回もまた、様々なものが紙袋に入れられている。しかも本や辞書も入っているのでかなり重く、嘆きながら作業した。

本当に色々なものが入っていた。

教育実習の記録のファイルの中には、最終授業の資料や板書計画のノートが入っていた。先生が書く板書って、ちゃんと予め考えられたものなんだよ、知ってた?

あと生徒たちに書いてもらった授業の感想が山盛り3クラス分出てきた。結構総じて評判はいいのだが、たまにダメ出しされててヒィンゴメン、、、となる。懐かしい。

先生になる道も考えたし、たまに今も考える時もある。まぁ色々と自分の資質と向き合うとダメな点もあるので、他人の人生を担う職は向いてないかなって思ってやめた。教育実習はかなりいい思い出として残っているし、それでいいかな。

 

過去のそういった記録とか、書き込まれた資料とか、院生時代の授業と修論と就活に追われて病んでいる日記とか、色々と発掘された。

あの頃と比べると、今の私、あんまり頑張れてないかなぁ、、、と思ってしまう。

高校時代に「私、頑張っている自分が好きなんだなぁ」と実感したことがある。今の私、適当に力抜いて仕事とかしてるけど、自分のこと好きだって言える?

 

そんなことを考えつつも、手を動かす。

気に入っていた写真たてが、だいぶ古びている。その中で飾られていたお気に入りのポストカードを抜いて持って帰るか、と思って後ろを開けてみる。

 

すると、いつ書いたのかすらわからない、過去の自分からのメッセージが書いてあった。

 

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う、うるせ〜〜〜〜〜〜!!!!!!!

 

 

 

ちなみに帰る前に部屋に入ってきた父に「これは道のり遥かに遠そうだな」と笑われた。

進捗、ダメです。

 

 

汽車の街

 

私は生まれてこのかた、ずっと関東で暮らしている。

それぞれ郊外って感じのところではあるけれども、電車で都心に出られる交通網はある。

どこの駅も、バス停も、大体似たようなものだ。

そう思っていた。

 

久しぶりにした国内旅行の二日目(感染対策はしっかりしたので許してください)。その場所の観光地は初日に車で大体回ったものの、帰りの飛行機の時間まで結構時間があったので、一人で公共交通機関を使って移動することにした。

 

この土地には "電車" が通っていないのだと、初日に案内してくれた現地の友人が教えてくれた。

"電車" ではなく "汽車" なのだと。

 

汽車と聞くと、某少年漫画の劇場版のアレみたいな蒸気機関車をどうしても思い浮かべてしまうのは私だけではないとは思う。

実際に初日に線路を走っている列車を見たが、列車自体の見た目は変わらなくて、まぁ確かに2両編成だねぇという感じだった。

でもよく見ると、何かが違う。

あぁ、あれがないんだ。

パンタグラフ

電車のしくみとかは正直よく知らないけれど、なんとなく用途は知っていたあの筐体の上を張り巡らされている黒い線。全然意識したことがなかったあれ。

あれ無しで走っている。

そうか、これが大きな違いなのか。

 

せっかくだし、というか、結構興味が湧いたので汽車を使って移動しよう。駅は泊まったホテルの近くだったので、問題なく歩いて行けた。

ICカードは使えないだろうなぁと思って改札を探す。

あれ?

ないじゃん。

駅員さんが手で切符にスタンプ押してるじゃん。

大きな駅なのに、こんな感じなんだ、、、、

 

この時点ですでにカルチャーショックを覚え、切符を買う自体かなり久々だな、、と思いつつ料金表をチラ見しながら切符を買い、駅員さんに処理をしてもらってホームへ向かう。

駅のホームは昼過ぎなのに高校生がたくさんいた。なんでだ?

 

とりあえず来た列車に乗り込む。始発駅だったので2両編成だったが余裕で座れた。動き出した列車に揺られながら、窓の外を見る。あれは昨日通った道だなぁとか、乗り心地とかは正直電車と変わらんなとか思いながらボンヤリしていた。

そろそろ降りる駅かなと思っていると、何やら車内アナウンスで整理券がどうとか、運賃箱がどうとか聞こえてきた。

整理券?運賃箱?

整理券なんて取ってない。やばいかもしれない。

運賃箱はどうやら車両の端にあるようで、そこに切符や運賃や整理券を入れるらしい。

やばいか?やばいのかこれは?

とりあえず車両の端に行ってみる。降りそうな人が多少いた。

列車が止まって、人の動向を見る。切符だけを運賃箱に入れている人がいた。整理券なくてもいいのか!

しれっと人の流れに乗って切符を入れて降りた。

そうか、始発駅だし切符買えたから整理券がなくてもどこから乗ってるのかわかるのか。実家の方の公共バスとかと同じ仕組みね。

納得したところでふと思う。整理券と運賃を入れるって、切符すら売っていない駅があるということだ。

というか、列車内で全て完結してしまった。たどり着いた駅は、窓口はあるものの駅員はおらず、もちろん改札もなかった。駅の構内は広い待合室になっており、女子高生が一人だけ座ってスマホをいじっていた。

乗り継ぎのバス停を確認すると、次のバスまで30分以上あった。外は結構寒かったので、待合室に戻って座る。

なぜか3台ある自動販売機の音だけがする。

静かだな、、、、、

 

バスもICカードが使えないだろうし、と帰りの切符を買ってお金を崩した。

待合室で眠くなってきたところでバスが来て、目的地に到着。帰りのバスの時間を見ておこうと思い、反対車線に渡ってバス停の時刻表を見た。

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時刻表、剥がされてるんだが、、、、

 

帰り道を調べても調べても、さっきの駅を経由する経路が出ないわけがようやくわかった。

そんなことある??

 

しょうがないので乗ってきたバスの路線を利用して、かなり時間をかけてターミナル駅まで帰ってきた。

利用したバス停の待合室に、ツバメの巣が3つも作られていたのはまた別のお話。

 

 

全ての旅程を終えて関東に帰ってきた私の財布には、使われなかった帰りの切符が入っている。

 

 

つけて、つけられて

 

他人のカバンについているマスコットを見るのが好き。

なんでその人がそれをつけるのを選んだのか、考えるのが好き。

私がそういうことを考えてしまうのは、自分自身がカバンに何をつけるのか結構ポリシーを持って決めているからなのだと思う。

好きなキャラとか、バンドとか。あとは他人からもらって気に入っているものとか。結構その人を構成しているものを表していることが多い気がして、全然知らない人なのに少し親近感が湧いたりすることもある。

 

この間駅のエスカレーターで私の前に立っていたおじいさんのカバンには、『ちびまる子ちゃん』の丸尾くんのアクリルキーホルダー(略してアクキー)がついていた。

ちびまる子ちゃん』の中でもなかなかに人気の低いキャラである丸尾くん。

幼き姉が欲しがったちびまる子ちゃんハウス的なものを親がクリスマスプレゼントに買った際、人形が友蔵とヒロシと丸尾くんしか残っていなかったと聞いた。

友蔵とヒロシと共に売れ残るくらいの丸尾くん。

きっと孫がちびまる子ちゃんのブラインドアクキーを買ったら丸尾くんが出て、がっかりだったんだろうなぁ、、、それをおじいちゃんにあげたんだろうなぁ、、、おじいちゃんは孫からもらったことが嬉しくてカバンにつけたんだろうなぁ、、、と勝手にほっこりエピソードを考えてしまった。

想像するだけならタダですし、他人には迷惑かけないもんね。

 

そんなことを思いながら歩いていたら、前の大学生くらいの女の子のカバンにナスの被り物をしてサングラスをかけた男のイラストのアクキーがついていた。

あれは完全に

お笑いコンビの天竺鼠のグッズだ。

そうかぁ、このお姉さんは天竺鼠が好きなのかぁ。

天竺鼠なぁ、2人とも結構テレビにも出るようになってきて知名度上がってきてるよなぁ。

面白いよねぇ。

映画『花束みたいな恋をした』でサブカルカップルが意気投合するきっかけになったのが天竺鼠で、映画を見た時シンプルに「うわ、天竺鼠ってそういう扱われ方してるんだ」と思った。なんていうか、サブカル好きの人たちが好む芸人とされるんだな、みたいな。

テレビに2人とも強いキャラで出るようになった今も、ああいう扱われ方してるのかな。

それとも今のそのポジションはやっぱりランジャタイなのかな。ランジャタイも去年のM-1で見つかっちゃったからダメかな。

ランジャタイといえば、今週の相席食堂のM-1ファイナリストによる街ブラ-1グランプリ、かなり面白かった。オススメ。観れるの明日までだけど。

今更いう話でもないけど、M-1、かなり好き。毎年半分泣きながら観てる。鳥取に住んでいる人が言ってたけど、鳥取はテレ朝系列が入らないからM-1観れないんだって。たしか富山も。

そんなの無理すぎる。M-1好きすぎて、いつか見た夢の中で、刑務所に2年くらい入ることが決まった時、真っ先に思ったのが「M-1、2年連続で観れないんだなぁ」だったし。無理すぎるな。

そういえばランジャタイの2人はそれぞれ鳥取と富山出身なんだよなぁ。ご両親はちゃんと観れたのかなぁ。

 

 

 

と、他人のカバンについているマスコットを見るだけでこんなに脳内で話がどんどん進んでいってしまう。途中マスコットとは完全に関係ない話にまで発展してしまった。

こんなんだから、他人のカバンのマスコットを見るのが好きだ。

 

ちなみに私のカバンには、職場の先輩たちといった花やしきのパンダカーのラバストがついている。花やしき、やたらとパンダカーを推してるんだけれども、パンダカーはしっぽが黒いんだよなぁ。そこが残念。

でもグッズはかなり可愛かったので、しっぽがあんまり見えないラバストを買ったのでした。

 

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(だいぶ汚れてきている)

 

パンダ好きがパンダをつけているので、これも持ち主の趣味嗜好が顕著に現れているね。