「き」「は」「じ」

 

仕事が終わり、即職場を出る。チャリのタイヤの向かう方向は、自宅ではない。駅だ。

ここ最近、駅を使うことはほぼない。ほとんどチャリか、少し足を伸ばすときはバス。絶賛探し中の中古車が手に入ればまた変わってくるのだろうが、そうなってくると駅なんて全く使わなくなるのだろう。それほどまでに、ここの場所は電車を使うことは少ない。

今回駅に向かうのは、他でもない帰省が理由だ。友人が舞台のチケットを取ってくれたのに乗じ、所定の連休に加えて一日余分に休みを取り、実家でゆっくりすることにした。

いつもとは異なる道を自転車で、時間を気にしながら走る。ふと、どこかから金木犀の香りが鼻を掠める。どこに花が?と辺りを見回すと、電線と電線の間がキラリと光った。何かと目を凝らしたら立派な蜘蛛の巣がかかっていた。なんとなく見てはいけないものを見てしまった気がして、駅へと急ぐ。今回は新幹線で帰ることにした。時速200キロ以上の速さをもってしても、昼下がりから夜の帳が下りるまでずっと狭い空間に閉じ込められることになる。ターミナル駅に着いて、新幹線乗り換え改札を探した。

引っ越しから2ヶ月と少し。なんなら帰省して2週間くらいのところで一旦用事のため帰ったので、実質2ヶ月。ここでの生活は、なんだか未だにしっくりきていない。どこか拭えない "非現実感" のようなものがある。まるで旅行先のような、もっと言うと並行世界のような、ひと繋ぎの世界ではないような感じがする。なのでこの関東へ繋がる新幹線の乗り換え改札は、まるで時空の狭間のような、不思議な入り口のように感じる。切符を買って改札を通って乗るだけの、ただ距離があるだけの、すべて同じ時間軸の世界なのに。

車内ではずーっと期限ギリギリのライブ配信を観ていた。活動休止をするthe peggiesの最後のライブ。トンネルをくぐるごとに止まっては真ん中にぐるぐるマークが回ったため、観終わったのは乗車時間残り30分くらいの地点だった。活動再開したら生で観に行きたいわね。

音楽を聴きながら新幹線を降りて、在来線の乗り換えホームに出た。耳に突っ込んだAirPodsが、何かを落とすような、気の抜けた音を発した。途端、右耳は何も聞こえなくなった。電池が切れる瞬間だった。初めて聞いた。片耳ずつ落ちるんだな、、、、左耳は生きてるのかなと思って止めてしまった音楽をもう一度再生してみると、同じ音を出して切れた。そう簡単に都合良くはいかないようだ。

在来線は数分遅れていた。何車線もある大きい駅のホーム。人の多さよりも、明るさに驚く。なんだか目がチカチカするくらい明るい。実家に住んでいた頃はしょっちゅう使っていた駅だったけれど、こんなに明るかったっけ。

考えてみれば、関東を2ヶ月も離れたことがなかった。たかが2ヶ月だったが、私にとっては思いがけず新記録だったようだ。まぁこれからどんどん記録は更新されていくのだろうけども。2ヶ月離れた感想が「街が明るい」なの、田舎感丸出しだな、、、と辟易したが、田舎感ってそんなに悪いものなのか?とふと思ったところで電車が滑り込んできた。

乗車率がちょうど100%くらいの車内。遅延へのお詫びと共に、各駅の到着予定時刻をツラツラと告げる車内アナウンス。私の実家の最寄り駅は毎回サラッと飛ばされる。大体の時間の予測をつけて、親に一報を入れた。背後では酔っ払ったおじさん達が、大きな声で話している。その話はだんだんと変な方向へ向かっていき、最終的にめちゃくちゃな下ネタになった。聞きたくもないのに、声が大きいため耳に色々なワードが入ってくる。隣の男子高校生達がニヤけながらざわめき出した。

心の底から、AirPodsの電池が切れたことが悔やまれる。

元凶の声の主をチラリと見る。私の父と同年代くらいの集団だ、、、と思ったが、父って実は結構年上なのだと思い直す。この人は父よりも上だろうな、と思った人が実際は結構年下だったことが最近多々ある。たぶんこれは娘フィルターなのだろう。だからきっと、後ろのデリカシーと公共マナーが死んでいる集団は父よりも年下だろうな。いやまぁそんなことは最早どうでもいいんだけど。

その集団の頭上が一瞬キラリと光った。なんだろう、と思って目を向けると、吊り革と天井の間に立派な蜘蛛の巣。

バチッと、頭の中で世界が繋がった音がした。

最寄り駅で降りると、夏の湿った匂いと秋の澄んだ匂いに混じって、姿の見えない金木犀が香っていた。