ガラスの眼と下僕

 

大学院の同期と1年ぶりに会った。一人暮らしを私が始めてから、住んでいる場所がかなり近くなったのでなんとなく不思議な感じがする。私の学科の院生の同期は私と彼女の二人だけで、彼女は学部時代は違う学科で勉強をしていた。いつ何で知り合ったのかは全く覚えていない(たぶん教職の授業だとは思う)けれど、院に上がる前に知り合ってはいた。研究テーマが違ったので研究室は違ったが、ずっと異質な世界の中で、これは異質だと分かち合える唯一の存在。互いに励まし合い、乗り越えてきた相手だ。

その日は同じ路線バスに乗った先にあるおしゃれタウンで猫カフェに行こうということになった。

猫カフェは一度だけ行ったことがある。結局課金おやつを持っている人の価値があがるその空間で、一緒に行った人がだいぶクセのある人で、自分だけおやつを買って猫ちゃんを独り占めしているのを遠巻きに見ていた。今思えば私もおやつを買えばよかったのかもしれないけれど、その空間で私は自分が猫を撫でるのがありえないくらい下手だという事実に気づかされた。以来猫カフェを避けていた。猫の労働という観点でも首を傾げたくなっていたし。

それでも今回は久しぶりに会う友達の要望だったし、実は一度元恋人と行こうとして行けず、それが発端で喧嘩に発展した場所だったので、思い出の上塗りという側面もあって予約をとった。

 

事前に仲の良い先輩に猫を撫でる方法を相談すると、猫が近づいてきても興味のないフリをするのが一番いいとのことだった。なるほど。

ということでいざ当日。

案内された席の真横に置いてあったテレビを模したベッドの中に早速猫が寝ており、もうダメだった。

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(おる〜〜〜〜〜!!!)

(ちゃんと静かなシャッター音で撮りました)

 

そこからはもう語彙力がなくなってしまった。入店時にいた人たちは完全に猫マスターという感じの方々で、店の中心にいたおじさんが完全に猫の名前も熟知しており、萎縮してしまった。それでもやはりせっかく来たし触れ合いたい、、、、と自信を奮い立たせ、あちこちで寝ている猫の横に、そっと座ってみるなどした。

 

寝ている猫を触っている人も多く、申し訳ない気持ちになりながらも恐る恐る触れてみる。温かくて、柔らかくて、ふわふわで、「そうだ、猫ってこんな感じの手触りをしていたな」とはるか昔の記憶が蘇ってくる。近所に猫をたくさん飼っている家があって、たびたび遊びに行かせてもらっていた時期があった。その頃の記憶だ。あとあと聞いた話、その家のお母さんは実は猫よりもパンダがすごく好きだったんだとか。大人になった私とかなり話が合ってウケた。

 

そんなことを思い出している人間に構うことなく、テレビベッドの中の彼女はずっと寝ている。見守っていると、おもむろに起き出し、水を飲み、おやつを持っている人に催促し、爪を研ぎ、またベッドに入る、を繰り返していた。なんて素晴らしい。最高の生活だ。他の猫もそんな感じで気ままに暮らしていた。近くに来る!と思って内心身構えつつも興味のないフリをすると、すべての猫が私を障害物のようにスルリとかわして通り過ぎていく。先輩のアドバイス、全く役に立たず。途中で来た執拗におもちゃを持って猫を追いかけて戯れさせようとしているちびっこには、みんなウンザリしている様子だった。やめてさしあげろ。

 

完全にあの空間は猫の方が上の存在で、人間はみんな下僕だった。私もずっと猫に対して敬語を使っていた。テレビベッドの中の彼女を友人と共にいたく気に入ってずっと見守っていたのだが、二人ともその猫の名前に「さん」と敬称を付けて呼んでいた。呼び捨てなんて恐れ多いのよ。

 

Twitterで以前、猫の目は横から見るとガラス玉のように透明だと聞いたことがあった。大好きなBUMPの有名曲にも、ガラスの眼をした猫の歌がある。

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写真はブレているが、たしかにそうだった。丸くて、なんならガラスより透明だった。猫にはどんな風に世界が見えているのだろうか。

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小さく上下する柔らかいお腹。何もつかめそうにない小さい手。薄くて血管がうっすら透けている耳。すべてが愛おしい、ただただ幸せに生きてほしい。

睡眠を邪魔した私が言うのもなんですが、、、

「お相手してくれてありがとう」とテレビの中の彼女に別れを告げて店を出た。普通に日常に戻り、バスに乗って帰宅。あの柔らかさと温かさが、まるで幻のように今は思える。

 

いつか猫を家に迎えるのが夢だ。叶えるのはいつになるだろう。その夢を絶対に実現するんだ、、と強く胸に誓った。その横で同じように友人も「猫飼いたい〜〜」を繰り返していた。恐るべし猫パワー。人間は完全に下僕。逆らえない。

 

ネコチャン最高!!!

 

 

クラゲを挟む

 

いつからだ?と思い返すと、明らかに4、5年前くらいから。本を読めなくなった。

それはちょうど大学院に入ったくらいの頃で、授業の課題の本、論文で書く本、それらの参考文献などなど、読まなくちゃいけない本が山積みになった頃。

冒頭で述べた、「本を読めなくなった」というのは、"娯楽としての" 本を読めなくなったということを意味している。研究のために読まなければいけない本が大幅に増えた。本屋さんにふらっと立ち寄ってあらすじを読んでそのまま買った本を読むのがとても好きだったが、そんな本を読んでいる暇があるなら、参考文献でも読みやがれ!と頭の中に住み着いていた教授が顔を顰めて叫んでいるような気がしていた。

大学院で読む本は「これを論じなければならない」という強迫観念がいつもページの隅に印刷されているようだった。ちょっとでも気になる表現には線を引き、調べ、ここの単語はあのことを仄めかしているのではないのか、など話の内容よりも細部に目を凝らしていた。それはそれで楽しかったのだが、純粋に楽しく本を読めなくなっていった。これを読まなきゃ、それで論じなきゃ。読まなければならない本も、大抵が日本でいう純文学というやつで、ヘビーな内容のものばかり。面白いけれど、読むのにも理解するのにも体力が必要だった。学生みんながそんな風に身を削りながら本を読んでいた。でも、それがやりたくて院に進んだのでしょう?と頭の中の教授が毎日笑顔で微笑みかけてきたが、私はすっかり研究としての文学に疲弊してしまい、研究の道を外れた。

 

研究の道を外れた途端に、娯楽としての本が解禁された。それでも、しばらく本を手に取れなかった。本を読む気になれなかった。もうなんでも読んでいいのに。好きなものが読めるのに。相変わらず本屋に行って直感的に本を買う習慣は続いていたが、読まれずにどんどんと本のタワーが建っていくばかり。なんで読めなくなってしまったんだろう。好きだったのに。姉にずっと借りていた本を手に取って、読み進めて、続きが気になるのに何故かキリがいいところでやめてしまう。最後まで読みきれない。もう頭の中の教授もいないのに。なんで?

好きだった食べ物がいきなりアレルギーになってしまったみたいだ。

このままは嫌だったし、何より何軒もある本のタワーもどうにかしたかったので、今年の目標に「本を読む」を入れた。月一で最低一冊。叶えられることなく、月日は進んでいった。

 

先日の鳥羽水族館への旅の折、お土産屋さんでふと目にあるものが入った。

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クラゲの栞だ。

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ステンドグラスのようになっていて、光にかざすと色が透ける。

クラゲよりもイルカが好きだし、鳥羽水族館のお土産ものとしてクラゲって、いないこともなかったけれどどうなんだ?などと思ったが、デザインがめちゃくちゃに気に入ってしまい、そのまま購入した。

これで本が読めるようになる、とかは特に期待していなかったけれど、まぁ何かきっかけになればくらいは思っていたかもしれない。

 

ある日のこと、そこそこ早い時間に仕事が終わったので寄り道でもして帰るか、と駅前の大きな本屋に寄った。ほしい漫画があったのだ。

何も考えずにフロアを上がる。到着した先でウロウロとするが、どこを見ても漫画は売っていない。漫画フロアは違う階だったようだ。そこは小説などが売っているフロア。家に積読タワーがある身なので、スルーをするつもりだった。

しかし、足が止まる。なぜか本屋にも本のタワーがあったからだ。全て同じ本がタワーのように積まれている。見ると、高校生の頃よく読んでいた有名な作家の最新作で、どうやら店員が整理していた途中のようだった。帯や装丁を読んで、心が惹かれた。できるだけ綺麗な本を選んで、レジへ持って行く。すると、レジの店員さんが「こちらのバージョンでよろしいですか?」と聞いてきた。質問の意味がよくわからず聞き返してしまったが、どうやら通常盤は昼の絵が表紙であるのに対して、書店限定盤は夜の絵が表紙なのだと言う。その店員さんが説明のために丁寧に持ってきてくれたので、せっかくだしと思い、夜の装丁のものを選んだ。

 

色々な偶然が重なった。新しい栞をたまたま買って、たまたま寄った本屋のフロアで、たまたま本の整理の途中のタワーが目に入った。そしてたまたま、買った翌週に体調を崩して動けなかった。手を伸ばしたのが、新しい夜の装丁のその本だった。

あっという間だった。

短い章が続いていたからかもしれない。あっという間に読み進めてしまった。ファンタジーと現実が織り交ぜられていてとても面白かったし、もしもあの本の通りなら、、と思い返して想像するのも楽しい。ネタバレになってしまうのであまり細かくは言えませんが!

久しぶりに、最後まで本を読めた。

前まではそれがなんてことないことだったのに、今回はとてもそれが嬉しい。

これからもたくさん読みたい本を読んでいきたい。本は面白いので。

 

〜今回読んだ本〜

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伊坂幸太郎『マイクロスパイ・アンサンブル』

物語の舞台の猪苗代湖に行ってみたくなった。

 

 

オオカミの口

 

スコーンの横にギザギザと入っている亀裂のことを「狼の口(Wolf's mouth)」というらしい。この亀裂が上手に入っているのが、本場のイギリスでは美味しさの証なんだとか。

こういう言葉にやたらとセンスを感じてしまう。例えば卵白で作るザラザラとして軽い食感のラングドシャは、和訳すると「猫の舌」という意味だ。確かに猫の舌、ザラザラしてるもんね。こういうセンスに溢れた喩えの言葉、好きなのが他にもたくさんあるのだが今回はその話がしたいわけではないので割愛。

 

この世界では、一口にスコーンといっても2種類ある。スタバに売っているような三角形の大きめのものは「アメリカンスコーン」で、アフタヌーンティーの段々のお皿に乗せられている、丸くて小さめなのが「イングリッシュスコーン」だ。(スナック菓子でもスコーンという名前のものはあるけれど、あれは何故スコーンなのかはわかりません、、、)

詳しく調べたわけではないけれど、アメリカとイギリスの発展の歴史がスコーンの形の分岐と関わっているのではないかなぁ。私は三角の方も好きだけど、丸いイングリッシュスコーンが好きだ。かなり好きだ。

といっても実はイングリッシュスコーンはなかなかに売っていない。私の生活圏では出会うことはほぼない。

冷蔵庫で先日のブラウニーを作った残りの無塩バターを見つけた。

 

作るか、イングリッシュスコーン。

 

レシピは探せば探すほど見つかった。この世にはあらゆる食感のスコーンを探究する人が多いらしい。とりあえず初手だし、突発的な衝動からなので一番材料が手頃なものを選んだ。

 

必要なバターは50g。残っているものを計るとぴったり100gだったので、半分に切る。

使うバターを1cm角に刻んで、小麦粉とベーキングパウダーを入れたボウルに投入。そぼろ状になるまで手ですり潰す。

この作業、おそらくスコーン作りの肝なのだろうが、正解がわからない。どこまでやればいいの?これはそぼろ状なの?なに?私の思い浮かべるそぼろ状になったところでやめてみた。牛乳と砂糖を投入。

この牛乳、しれっと入れたが実は期限が二日切れている。なんか、使いそびれていたら切れていた。スコーンで消費しきるかと思ったが、思いの外全然減らなかったので残りは捨てた。

 

混ぜてまとまった生地を平らに伸ばしてたたんで伸ばす、を二、三回繰り返す。麺棒がないので手のひらで伸ばしたが、この作業は完全な無になれるので気に入った。今後、無になりたい時はスコーンを作るといいかもしれない。

満を辞して、型抜き。型がないと出来ないのでは?と思っていたのだが、母がコップとかでもイケると言っていたので言われるがままにチャレンジ。食器棚を物色して、これが一番ちょうど良さそうだと手に取った。

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アドベンチャーワールドで買った、牛乳淹れるとパンダになるやつ。

買ったはいいものの、私が牛乳を飲む生活をする人間じゃなかったが故に今回がデビュー戦になってしまった。こんなことするために生まれたんじゃないと思っているかもしれない。ごめん。ありがとう。心の中で呟きつつ逆さまにして生地にギュッ!とやる。うまい具合に丸く抜けた。いいぞ。

型を抜いた後の生地も、もう一度丸めて伸ばして畳んで型を抜いた。最後に残った生地は適当に丸めて平らにした。

型を抜いた後の生地の側面を触らないことが、うまく「狼の口」を出す秘訣なんだとか。フーンと思いつつ次の工程に目を通す。

「牛乳(分量外)を生地に塗る」とある。

牛乳、全て捨てたが?

諦めて予熱していたオーブンに突っ込んだ。

 

焼き時間はレシピでは15分。

その間にジャムと生クリームを買いに行こう。適当に準備をして家を飛び出す。この時点で残り10分。

コンビニにあるか?と寄るが、生クリームがない。タイムロス。結局小さいスーパーまで向かうことになった。商店街をクロックスで駆ける。生クリームはラスイチだった。危ない。ジャムはブルーベリーと決めていた。

店を出、家へ直帰。マンションのエントランスで香ばしい香りがした。お!これはウチのか?家に入ってオーブンの前に吸い寄せられた。残り26秒。これは、と思ってオーブンを止める。

 

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焦げた。頭が。ちょっとではない。

 

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狼の口」は上手く出来ているものもあった。でも焦げている。

 

粗熱を取る間に生クリームを泡立てる。ハンドブレンダーがあるから楽勝だぜ!と思っていたら各地に飛び跳ねた。泣きながら拭いた。

 

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お皿に盛り付けるとまぁいい感じに見える、、よね、、、?

味はまぁ普通に美味しかった。

あまり膨らんでいないものもあったので、あの工程ですり潰し過ぎなのか、、、?とも思った。

 

そして、今回ではっきりしたことだが、どうやら私の家のオーブンは少し温度が高めらしい。ブラウニーも頭が焦げたし。

オーブンの設定分数を見極めていくことが当面の課題。

 

バターがまだ残っているので、近いうちにリベンジマッチが決まりました。

 

 

 

翌朝、玄関の鍵がかかっていないことに仰天。オーブンに吸い寄せられた時にかけそびれたようだ。いくらなんでも不用心すぎる、、、

 

 

薄く硬く、そして脆い

 

スマホの画面が割れた。正しく言えば、スマホに貼っていたガラスの保護フィルムが割れた。そこまで大掛かりに割れたわけではないし、まだ使えるからなぁと思って変えずにいた挙句、積み重ねでどんどん増えていったひび割れ。右下の角、その少し上の端、そして上部に稲妻のように入った細いひび。その3箇所に加えて、左の端もひびが入った。

画面が全く見えないというわけでもないけれど、最近なんかいいこともあんまりないし、変えたら何かしら運気が上向きになったりするんじゃないかと淡い期待を込めて電気屋さんに向かった。

 

とはいえ、私は画面の保護フィルムを貼ることがものすごく嫌いだ。できればやりたくない。思い返せば、中学の頃に英検準二級合格のご褒美に買ってもらったWALKMANの保護フィルム貼りで大失敗したことから、この苦手意識は始まっていると思う。そんなに大した話ではない。YUIがCMをやっていた頃のピンク色のWALKMANは私の念願で、意気揚々と箱を開けて保護フィルムを貼ろうとした。カーペットの上でやろうとしたのがよくなかったと今になれば思う。保護フィルムの上に、埃が乗った。小さいカーペットの毛。それをティッシュでとろうもした。ティッシュティッシュで。

その後のことは恐らく容易に想像ができると思う。やっと買ってもらったWALKMANとの日々が大失敗と共に始まり、それを見た父が爆笑していた。中学生なのに、泣いた。部活のコンクールが県大会にいけなかった時すら泣かなかったのに、保護フィルムの粘着力がティッシュによって死滅してしまったことと、父に爆笑されたことが悔しくて、泣いた。

それ以来、保護フィルムを貼ることは毛虫と同じくらい、いやもっと嫌いだ。

できることならやりたくない。スマホを買った時に店頭でお金を払ってやってもらったこともある。ただ、貼らないと画面がバリバリになることも経験済みなので、渋々自分で貼って気泡がありえないほど入ることもままあった。

 

今回割れた保護フィルムは、同じ部署の同期に貼ってもらった。配属されたての頃、先輩のスマホの保護フィルムを「俺貼るのめっちゃ得意なんすよね!!」とドヤ顔をしながら貼っていたので、それなら私のも貼ってくれとお願いした。社会人になってお金が入るようになったので、そこそこ値段のする強化ガラスのものを貼りたいなと思っていたところだったのだ。

やる気満々で「いいよ!」と言ってくれたので、電気屋で買った後近くのドトールで貼ってもらうことになった。

箱を開けて中身を取り出すと、同期の顔が少し曇った。

「これ、俺が知ってるやつと違う、、、」

スマホの電源を切り、あーでもないこーでもないと言いながら説明書もそこそこにフィルムをいじくり倒す同期。大丈夫か、、?と心配になりながら見つめている私。

「あ」 思わず私の声が出た。

「これ、今、線入ったんじゃない、、?」

ど新品のガラスフィルムの真ん中、一本線が、というかひびが、走っていた。

彼がいじくっていた時、無理に曲げてしまったようだ。

配属されたて。なんなら出会いたて。お互いの性格や相性がちょっとずつわかってきたような頃。

彼の顔にハッキリ「やってしまった」と書かれた直後、怒涛の勢いで謝り始めた彼、

あまりの勢いになんだか可笑しくなってしまって、私は大爆笑してしまった。仕事終わりのドトールで、必死に謝る彼と爆笑する私はなかなか変な構図だったかもしれない。

さすがに弁償してね、と言ったので直後に買ってきてもらい、今度は説明書を見ながら綺麗に貼ってくれた。ありがとう。

 

まぁ、その数週間後に気づいたら右の角が割れてたんですけどね。

 

 

あの日と同じ電気屋でフィルムを探すと、もうだいぶ型落ちしているようで数種類しか売っていなかった。前のサラサラの手触りのやつがよかったのだが、もうどれだかわからないのでそれっぽいのを買った。型落ちのおかげで当時より値段は下がっていた。

家に帰って、箱を開ける。あの時ドトールで見たものと同じような作りのものだった。説明書を見ながらやってみる。スマホの電源を切りそびれたので、フィルムを貼る時点ですごい通知を開く画面になってしまい気が散った。

いざ終えてみてみると、画面の中央にハンコ注射みたいな気泡ができていた。

めっちゃ気になる。

これだから保護フィルム貼るの嫌いなんだよ。

今回もあの同期にお願いすればよかったかなと思いつつ、今ハンコ注射の気泡が入った画面を見ながらこれを書いている。

 

この間までのフィルムの方がサラサラで使い心地が良かったなぁ、、、

 

 

二人で煮込んで味わって

 

人生で一度だけ、アコギ一本での弾き語りを人前で披露したことがある。短かったバンドサークル生活の、本当に一瞬。一人で弾き語りなんて、大学で始めたてのギターだったし、恥ずかしくて一生無理だと思っていた。でも、あの曲を聴いた時に、なんだかこれを一人でやらないと後悔するかなと思った。

藤原さくらの『Soup』

当時やっていた月9ドラマの劇中に登場する曲だった。ドラマのあらすじは省略するけれど、主人公が親友の結婚式のために書き下ろして披露する、という設定の曲だ。「二人で生きていく」ということに関して、色々な表現を用いながら、共に人生を歩んで行く相手に語りかける歌。

なんであの曲を歌いたくなったのかは正直よくわからないけれど、今でも好き。カラオケでもよく歌う。

私の結婚に対するイメージって、ひょっとしたらこの曲に結びついているのかもしれない。

 

 

先日、中学の友人の結婚式の二次会にお呼ばれした。友人と呼ぶべきか、親友と呼ぶべきか、喧嘩友達と呼ぶべきかわからないところではある。

私よりも生まれるのが一日だけ早かった彼女。

吹奏楽部の同期で、2人で同じパートに配置された。中学から引っ越してきた子だった。

私はあまり友達と喧嘩をしない。喧嘩という選択をする前に離れてしまうからだ。そもそも咄嗟に怒れないので、喧嘩をする前に話題が変わる。話が終わった頃に自分が傷ついているのを感じて、それが積もるといきなり相手と距離を置いてしまう。相手からすると謎でしかないと思う。

ただ、彼女とだけは話は別。人生で一番喧嘩をした相手と言っても過言ではない。中学という多感な時期。部活という閉鎖的な世界。の中でもさらに閉鎖的な同じパートという関係。ただでさえ完全に火薬庫のような環境なのに、もっと最悪なのがお互いにかなりの負けず嫌いだったこと。朝練で自分より早く彼女が来て練習している姿を見ようものなら、翌日もっと早く来て練習する。その翌日同じ時間に行くと彼女がすでに練習をしていて、、、というループが発生したこともあった。

本気でお互いを嫌い合っていたことすらある。先輩のプレゼントを買いに行くのに渋々2人で出かけて、終始無言だったことも。

それなのに、気づけばなんか仲良くなっていた。お互いに言いたいことを言える関係になった。角と角は、ぶつかり合えば丸くなるのだ。3年になる頃には「あの時お前のこと嫌いだったわw」と言い合うほどに。

ぶつかり合って仲良くなれるもんなんだなぁと当時の私は感心したのだが、その方法は誰に対しても使えるわけではないというのはその後の人生で痛いほどに理解する。

それくらい、喧嘩もしたし仲直りもした。

 

と、ここまでなら割と綺麗事で片付く話かもしれないけれど、それだけでは終わらない。

別々の高校に通って、私はそのまま大学に進学した。彼女は絵を描くことが好きで、美大に合格するために何年も努力を続けた。

私は大学を卒業して院に進むことを選択。ちょうどその頃彼女は美大入学を果たした。

なんとなく、色々なタイミングがズレた。お互いに全然知らない友達を作り、全然知らない環境の中で生き、すれ違うことが増えた。

元々人との壁が薄い、というか低い彼女は、地元でのバイトをきっかけに中学の頃あまり話さなかった同級生達とも仲良くなっていった。

人との関係をきっちり区切っていってしまうところがあり、地元の同級生たちに対して少し苦手意識があった私にとって、それはかなりの衝撃だった。

あぁ、変わってしまったんだな。寂しいな。

そんな気持ちのもと、地元の大人数の飲み会に彼女から誘われることもあったけれど、行きづらくて断り続けてしまった。

なんとなく距離を感じていた頃に、彼女は唐突に結婚することを決めた。仲のいい人が結婚したのは初めてだった。かなり驚いた。

久しぶりに彼女に会って話を聞くことになった。久しぶりに会うと、やっぱあんま変わってないなと気づく。確かに変わった部分もあって、でもそれはお互い様で、距離を感じていたのが少しバカらしくなるような気すらした。一方的に感じてないで、あの頃みたいに話せばよかったのにね。

結婚に関しても、出会いやら馴れ初めやらを聞いた限り、お相手はしっかりしたいい感じの人だった。そういえばこの子、私とは対照的に見る目があるんだったな、、、

結婚式の招待状が届いて、初めて返信を書いて、二次会の会場に移動するのを手伝う役を任命された。ちょうどその頃、コロナが世界をぶん回し始めた。

 

二度、式が延期された。

その後、親族だけで行うことが決まったと伝えられた。

どれくらい悩んだんだろうなぁとか、大丈夫かなぁとか思いつつ承諾し、数ヶ月経った。

結婚式の日程が決まり、その後の二次会に来ないかと声をかけられた。行きますと返事をした。

 

会場に着くと、思っていたよりもかなり人数が限られていたということに気づく。私、彼女の選ばれし友人のうちの一人なんだ、、、、と謎に感動した。

旦那さんと一緒に入場してきた彼女は本当に綺麗で、ドレスもかなり似合っていて、何よりニコニコ幸せそうで。なぜか私が少し照れてしまった。本人を前にしても、ちゃんとした気の利いたことを言うのが恥ずかしくて軽口を叩いてばかりになってしまった。子供だな〜、、、というわけでここに記しておこうと思う。

 

式、開催できてよかったね。本当おめでとう。

本当に綺麗だったよ。呼んでくれてありがとう。

二人が歳をとっても、皺になっても、一緒にいられる『Soup』のような関係でありますように。

 

 

私ともまたこれからも喧嘩しようね。

それで仲直りしようね。

 

ていうかサークル引退する時に描いてもらった似顔絵の報酬の海鮮丼、まだご馳走してないね?!?ごめん早急に会おう。

 

 

海の中のわだかまり

 

小学2年生の頃、夏休みに関東のあらゆる水族館に行かせてもらったことがある。イルカが好きな私がめちゃくちゃに行きたがったからだ。八景島シーパラダイスえのすいサンシャイン水族館、、、5歳上の姉は「水族館はもうこりごり」と思っていたそう。ごめんね。

 

いつかイルカと一緒に泳ぎたいと思っていたし、それをモチベーションに憂鬱な気持ちではあったけれど、スイミングに通っていた。毎週金曜日の夕方はそのせいで憂鬱だったけれど、なんとか平泳ぎまでは泳げるようになった。

そんなイルカから始まった海の世界への憧れは、自然と私をお伽話の人魚姫へと引き寄せた。

もちろんその入り口はディズニーの『リトル・マーメイド』だったのですが、、、

そこからあらゆる方向に憧れが広がった。人魚姫の作者、アンデルセンの故郷であるデンマークに多大な憧れを抱いたのも、そのひとつ。大学の卒業旅行で首都のコペンハーゲンへ行けたことは、私の中で最高の思い出として残っている。

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(アンデルセン童話発祥の地として、コペンハーゲンには人魚像がある。世界三大がっかりらしい。すっごい曇天)

 

 

そんな中でも、どうしてもわからなかったことがある。

人魚のモデルがジュゴンという動物である、ということだ。人魚伝説というやつ。

調べてみると、ぽってりのっぺりとした不思議な生き物が出てきた。イルカのような流線型だけど、イルカでもない。

 

この動物から、あの人魚のイメージが生まれたの?

ポケモンジュゴンならまだなんとなく繋がらないこともないが、、、

正直わからなかったし、綺麗な人魚モチーフとは結び付かなかった。

伝説なんてそんなものだよな、、と今なら思えるけれど、小学生の頃に初めて聞いたときは、許せないとすら思った。

 

そのジュゴンに対するわだかまりが消えないまま大人になった。

突然友人から「鳥羽水族館に行きたい」と誘われた。

名前は聞いたことがあって、コロナ禍でアザラシの赤ちゃんが産まれたことが話題になっていたことも知っていた。調べてみると、飼育種類数が日本一だそうだ。すごいね。

そして何より、ジュゴンがいる。

日本で唯一のジュゴンがいる水族館だそうだ。

俄然興味が湧いた。

ジュゴンをこの眼で見て、人魚のモデルとして納得できるかどうか確かめよう。

そんな決意を胸に、三重県へと向かった。

 

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(初日の伊勢神宮、雨によって神聖な雰囲気が一層増していた)

 

鳥羽水族館へは、2日目に。チェックアウト後に真っ直ぐ向かった。

館内は特に決められた順路はなく、メインストリートからそれぞれのエリアが部屋のようにのびている。ずっと道が繋がっている水族館よりもあちこち行きやすい。何より明るい。

 

本当にたくさんの生き物がいた。

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前向いてるガー。小型の方。


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スナメリ。シロイルカとは違う。スマホを向けていると寄ってきてファンサをしてくれたけど、一眼にはなかなか寄ってこなかった。


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イロワケイルカ。一頭が突然速く泳ぎ始めると、みんなつられてレースみたいになってた。


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ラッコ。もう日本の水族館には4頭しかいないんだって。そのうちの2頭いた。ご飯タイムだった。職員さんにめちゃ懐いてて可愛い、、、

 

 

そして、待望のジュゴン


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とても、優しい顔をしていた。

 

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小魚がたくさんいる水槽で、悠然と泳いでいた。

 

大きくて、むっちりとしていて、のんびりとしていた。

 

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この子の名前は『セレナ』。保護されたフィリピンで、人魚を意味する単語だそうだ。

人魚かと言われれば、正直完全に理解はできない。人魚とは別物だと思う。

でも、きっといい子なんだろうなとなんとなく思った。純粋に可愛い。

ジュゴンに対するわだかまりは、優雅に泳ぐ姿を見て完全に溶けた。

今年で来園35年記念らしく、先日海藻のケーキが贈られたんだって。

私よりも歳上のセレナ。

 

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勝手に許せないとか言っててごめんね。

会えてよかったと思った。

これからも元気で。また会いに来たいなぁ。

 

 

ちなみに、ジュゴンにもよく似ていて、人魚のモデルはこっちだという説もあるマナティもいた。

 

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まん丸だった。

海藻を胸ビレを使って食べていた。

友人はマナティの方が親近感が湧いてよかったと言っていた。

 

 

 

鳥羽水族館を後にした私は、色々な魚や生き物を見たことに感化されて、ずっと温めていたダイビングのライセンスをとる話を進めようかと思っている。

本物の人魚、いるかもしれないしね。

 

 

欲の捌け口

 

お菓子を作ることに、さして抵抗がないのはきっと母の影響だと思う。

先日の『グレーテルのかまど』はセサミ・ストリートのクッキーモンスターのクッキーがテーマだったのだが、彼がクッキーを好きになったきっかけはお母さんがよく作っていたことだそうだ。

そこから出演者たちが自分の母の味のお菓子は何かを紹介しあっていた。私が思い浮かぶ母のお菓子は、チーズケーキだ。

物心ついた時からよく母が作っていたそのチーズケーキは、いつも同じ味がした。完全なベイクドチーズケーキで、しっとりなめらか。どこを食べても美味しかった。

焼く前の卵と砂糖とクリームチーズを混ぜたハンドミキサーのビーター(回る部分)を手伝えば舐めさせてもらえたので、それ目当てによく手伝いをしていた。私のお菓子作りのルーツはそこからな気がする。

母は自分がおいしいと思ったもののレシピを作った友達から聞いて、それをメモに残して改良を加えながら今も使ったりしている。その中にお菓子のレシピも結構あって、チーズケーキ以外にもよく作っていたのがバレンタインで大活躍のトリュフだった。トリュフのレシピには私も幾度となく助けられた。学生時代のバレンタインはほぼほぼ毎年トリュフ。初めて一人で作れたお菓子もトリュフだったかもしれない。母も自信のあるレシピらしく、正直私もこれは他の誰にも負けないトリュフではないかと思う節もある。

中学までは年に一回、バレンタインに友チョコを作る程度のお菓子作り生活だった私は、高校に入ってからバスケ部のマネージャーになった。これは、お菓子作りが部活の一環になることを意味する。バレンタインはもちろん、クリスマスにもなぜか作る文化があった。バレンタインはすごかった。部員全員に渡すので、たぶん50個とか作ってた。こんなに作るならこれくらい誤差範囲だろうと言いながら、クラス全員のチョコも同時に作るなどしていた。そんな規模になるともうラッピングもしていられないので、基本的にタッパーに入れて直接食べてもらっていた。クリスマスは部員にだけ作っていたからまだマシだと思っていたが、それでもパウンドケーキを2本は焼いていた記憶がある。

そんな大がかりで半分義務のような状況でも、お菓子作りに対して負の感情はなかったので、割と進んで色々と作っていた。

ちなみに教育実習に行った時、このお菓子作りデイに加えて部員一人一人の誕生日にもお菓子を作ることになっていてたまげてしまった、、、そこまでお菓子作りに比重が置かれると最早悪しき慣習にさえ感じてしまうが、先生もひとつどうぞと言われて美味しくいただいたので何も言えない。

 

これが大学に入ると途端に作る機会がなくなった。バレンタインの時期は春休みで顔を合わせる人もいないし、恋人も毎年いるタイプではなかったので、あんなにお菓子を量産していた年一イベが消え失せた。お菓子作りをしなくてもよくなった。

あれだけ作っていた生活から離れると、ふとした時にお菓子作り欲というのは割と自然に湧いてくる。大学生の頃は何かと理由を探して、作るチャンスを虎視眈々と狙っていた気がする。何にもない時に突然作ることもあった。そうすると大抵家族が喜んで食べてくれたので、私の欲が満たされた。

 

しかし、今は一人暮らしだ。お菓子を作ったら、自分一人で食べるしかない。一度ノリでレモンを買った際、うまい使い方が思い浮かばずに結局ウィークエンド・シトロンを作ったことがあった。お菓子も作りたかったし。その時は仲の良い先輩に配ったのだが、どこかでその話を耳にした上司に「女子力!って感じだね!」って言われ、「あ、これあんまり作ってこない方がいいな」となんとなく思ってしまった。ただ単に欲とレモンの消費活動の一環として作ったものに、女子力というレッテルは似合わないのに。女子力レッテルは媚びた色をしている。別に誰に対するアピールでもないのにね。

 

そんなわけで、職場に配る選択肢も消えた今、お菓子作り欲の捌け口は友人の来訪に向けられた。先日、試してみたいブラウニーのレシピが手に入り、うずうずしていたところに3人も遊びにくることになったのだ。

腕まくりをして材料を集め、意気揚々と焼いた。

 

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全然映えないし、てっぺんがちょっと焦げた。

切った後の写真は撮るのを忘れた。

 

ちょっと焦げたけれども、味は概ね好評だった。

 

ちょっと焦げたので、今はリベンジ欲が燃えている。