行雲を抜けて


2024年、あっという間に1月も終わってしまった。気づけばもう2月だった。この1月、早く過ぎ去れ、、とじっと耐えていた日々が多かった気がする。とはいえ振り返ってみれば、爆速ダッシュで過ぎ去ってしまったようだった。
このブログを勝手に週刊連載にし始めて3年が経った。4年目に突入だ。まぁ昨年は公私共に忙しく、週刊だったかと言われれば少し首を捻ってしまうのですが。
とはいえ3年。中1と高1が、それぞれ卒業してしまうくらいには年月が経ったということだ。社会人になってから月日が経つのが本当に早い。気づけば30代も目前ですもんね。3年目は身内以外の人からも褒められる機会とかがあったりして、嬉しかったなぁ。ふと見ると記事の総数は150本で、この記事で151本目。週刊にしてからの本数的にも130を超えていた。割と続くもんだなぁと思う。完全に自己満で始めて、半ば日記代わりのように自己満で続けているけれど、100本超えたらそれなりに継続はできてるってことでいいですよね。個人的にもお気に入りの話とかもあってまとめたりとかできたらなって思うけど、これこそ本当に究極の自己満でしかないね。とはいえここまでの自己満に付き合ってくださっている方々、ありがとうございます。まだまだやめるつもりはないので、ゆるゆると読んでくだされば、と思います。何卒何卒。

というのを本来更新する予定のない木曜日につらつらと書いているのは、更新予定の日曜日に旅行帰りで更新する余裕がなかったのと、今日が出張の前日で振替休日であるから。昼過ぎのフライトを予約して乗り込んだけれど、私の席の列も前後の列も、窓際にしか人がいない。めっちゃ空いてる。年末年始のほぼ満席の便にばっか乗ってたので、平日の真っ昼間の空き具合に少し不安になった。明るい時間のフライト、久しぶりだな〜と思って窓の外を眺めながら離陸。ぼーっと眺めていたけれど、見えた海が澄みきってエメラルドグリーンが穏やかに波打っていて、「えっこんなに綺麗だったっけ」と思わず食い入るように見つめてしまう。曇り空と水平線の境目が見えなくてどこまでが海でどこまでが空かわからず、海を眺めているうちにだんだん白く霞んできて、雲の中へ入っているのに気づく。そうしていると、上から光が差し込んできた。さっきまで中にいた雲がモコモコとしていて、下に羊雲があるみたいでおかしい。どんどん高度が上がる。青空の中にポツポツと大きい雲があって、そこから覗く太陽の真下を通る。そこだけ雲がとても明るい。そこからもぐーっと上がっていって、最後はすべての雲の上へ抜け出たのだけど、その一連の流れが改めてじっくり見ると、ありえないくらい綺麗だった。なんだかいてもたってもいられなくなって、シートベルトで固定されつつ、空港で買った生チョコパウンドケーキを食べながらこれを書いている次第です。

伝わらんな〜〜〜!!!
こういう景色を見ていて、そういえばやりたいことリストにずーっと「スカイダビングをしたい」とか「雲海を見たい」とか書いてるんだったな、と思い出す。今年は達成できるようにちゃんと動きたいな。
今まで見過ごしてきた綺麗さとか、気づけなかった尊さとか、いつもとは違う経験をして見た景色とか、日々の生活の中で心を動かされたこととか。4年目はよりしっかりと書き記していきたい。
ていうかこの生チョコパウンドケーキ、めっちゃ美味しい。また買おう、、、、(ダイエットは?)

解放感と妥協を背負う

年内くらいからずっと気が重かった出張がようやく終わりました。解放感に満ち満ちています。仕事自体はまぁ、、、反省点しかなくて振り返るのも嫌だけど、久しぶりに仲良くしてくれる他地区の子達とお茶したり話したりできたのは良かった。一人でボンヤリ考えながら過ごす時間もとても好きだし大切だけど、他人と話して楽しく過ごす時間でしか得られない栄養も確実にあるなぁと思う。基本的におしゃべりな人間ではあるので、こういう時間がないと確実にダメになる自覚がある。そういうのを考慮して、たくさんの人と話したりしながらできる仕事を選んだのですが、働き始めてから人見知りな自分を発見してしまいビックリ。自分と異なる性質の人がたくさんいる中に一人放り出されると、口をつぐんで空気を演じてしまうようです。特に今回の出張中にあった、知らない人が8割の大人数の飲み会でそのことを思い知らされた。仲のいい人たちとしかバーっと話せない。典型的な内弁慶だった。ウケる。

まぁそんな人に揉まれる出張だったわけですが、最中にずっと使ってた通勤用のリュックがぶっ壊れまして。端的にいうと、どうしてもファスナーが引っかかって進めない部分ができた上に、片方のファスナーが脱線したっていう事態。結果、3分の1が開きっぱなしっていう心許ないことになってしまった。ファスナーの脱線自体は頑張れば直せるっぽいけれど、引っかかって進めない部分がもうほつれてしまっていて、これはもう多分直せないやつだよなぁって感じ。
そもそもこのリュック、入社2年目の夏のボーナス時に買ったものなのですが、当時マリメッコのリュックが欲しくて欲しくて悩みまくっていて。


https://www.marimekko.jp/shop/marimekko/item/view/shop_product_id/19514

リュックで3万弱、、、、と思ってしまうとなかなか手が出ず、結局亜種のようなデザインのものを閉店セール中の雑貨屋で半額で見つけ、マリメッコの10分の1ほどの値段で買ったのだった。そういう妥協の過程で選ばれたリュックだったけれど、これがなかなか使い勝手が良かった。メインのファスナーを開けた内側にすぐメッシュのファスナー付きポケットがあって財布と社用スマホを入れたり、背中に当たる部分の下の方にあるファスナーがついたポケットにはキーケースやパスケースを入れたりと、すぐに出したいものをすぐ出せる位置に入れることができた。なかなかそういうポケットがついたリュックは他にも見ないので、他のリュックを背負った時に、キーケースを背中のポケットに入れようとして空振ったりすることもある。でも、一番大切なファスナーが壊れちゃったしなぁ、、、さすがにご卒業になるだろうなぁ。
さてリュックを買い替えるか、と思った時に真っ先に浮かぶのは未だにマリメッコのリュック。なんならいまのリュックを使っている間も、街中でマリメッコのリュックを見かけると「あ、いいな」って思ってしまう私。妥協したものの、心にずっと引っかかっていたのだ。それでもすぐに手を出せない私もいる。うーん。
とりあえず、しばらくは他のカバンで出勤しようと思う。マリメッコのリュックを買うかもしれないし、他のものにしてしまうかもしれない。どっちにしても納得のいく使いやすさのものであれ、、、

ぬるま湯から一人

年が明けました。新年早々いろいろな心が痛む出来事があって、いったい今年はどうなってしまうんだろうという心配と、生きて年を越したり明日が来たりするのって全然当たり前のことじゃないんだなぁと実感して、自分の周りの大切な人たちと一緒に日々を過ごせることをありがたく思うなどしました。大切にしなきゃいけないね。被害に遭われた方々が、一日でも早く平穏な日々を送れるように祈るばかりです。

年明けの瞬間、普通にお風呂に入っていて除夜の鐘を湯船で聞いた。今までは年明けの瞬間というのを大切にしていて、『どうぶつの森』のゲーム内のカウントダウンに参加したり、0時ピッタリに仲のいい友人に連絡をしたりするために待機していた。そういった年明けの瞬間を重んじなくなったことに、大人になった実感を得る。好きな漫画のキャラクターの「せっかく終わったのにまた始まるんだなってムカつくから、正月は嫌い」というセリフを、今年はとても理解できる。お正月はダラダラする口実になるしとても好きだけど、去年あった大変な仕事をまたやらなきゃいけないのは嫌だなってすごい思う。仕事に対する愚痴が出るたびに「じゃあもうやめろよ」って心の中のサバサバな私が呆れています。今年も色々準備はしようね。無理だと思ったら逃げようね。

本当は連休直前に帰って、3連休は自宅で一人暮らしのリハビリをするつもりだったのだけど、乗る予定だった飛行機が欠航になったので帰るのを2日延ばしたのでした。そのおかげで高校のクラスの同窓会にも行けましたわ。帰りたくないと駄々をこねていたので、変更料もかからずに便を変更できたのは私的にはラッキーだった。まぁ2日延ばしたところで時間は残酷にも過ぎてゆき、ついに帰る日になってしまったのだが。帰りたくない!ワァ!!この件に関しても心の中のサバサバ私が呆れています。わかってるよ、、、

今年は久しぶりに大きい神社に行って初詣をした。おみくじは凶だった。何一つとしていいことが書いてなかった。即結んでやりました。頼むわよ、、、ここ最近ひくおみくじ、全然いいこと書いてないんだけど?観光地で売りがちな、可愛いマスコットの中に入ってるおみくじでさえ散々なことが書いてあったりしたので、ひょっとしたら運気がやばめなのかもしれない。慎重に過ごしていかねば、、、、ちなみに、その数日後に行った居酒屋で、呼び鈴にくっついてるタイプの昭和の香りがするおみくじをひいたら小吉だった。ひき方わかんなくて自分の星座とは違うとこにお金入れたんですけど、この結果のままで大丈夫ですかね?小吉ってことで上書きしてOK?

そんなことを考えながら空港の搭乗口前の待合所でこのブログを書いているのですが、どんどん出発時刻が遅延していくアナウンスが聞こえる。色々大変だったし、今も大変だものね、、安全に無事に運んでくれればそれでいので、、、よろしくお願いしますね、、、もうほんとに帰りたくないけど、帰らないといけないことはわかっているのでちゃんと帰ります。
とはいえ友人の結婚式が続くので、2ヶ月半後くらいにはまたこっちに1週間くらい帰ってくるのですがね!!!

SNSで見ていい色だなって思ったまま勢いで買った2024年最初のコスメは、START ME UPという色のマットリップ。なかなか似合うしお正月限定の赤いボディもかなり素敵。このリップと共に、また新しく頑張っていくか〜〜、、、色々なことを考えると気が遠くなりそうだけど、今年も楽しいことがたくさんある一年になればいいなぁ。

思い切り解呪

髪を切りました。30cmくらい。
あまりにも切ったので、美容師さんに初めて「写真撮っていい?!」って聞かれました。ビフォーアフター別人みたいでウケる。切ってから、うなじに毛先がチクチク当たってビックリ。髪を短くするとこういうことがあるんだったっけ、、、切って落ちた髪の量エグすぎて面白かった。ちっちゃいぬいぐるみ作れそうなレベルだった。
髪を伸ばすと切りたくなるし、切ると伸ばしたくなるのは人間の性だと思うのですが、ほかの人はそんなことないのかしら。
それにしても、ここまで切ったのは高校2年生以来、、、?その時はなんならそこまで切るつもりなかったのに、一回切ってもらったらやたら跳ねてしまったので、再び美容室に行ってもっと短く切って縮毛をかけてもらったのでした。でもその時より今の方が短いかも。
初めて髪を短く切ったのは小学生の頃だったのはとても覚えている。ニコラの人気モデルだった岡本玲ちゃんが髪を短くしたのに憧れたのだ。我ながらチョロ小学生。とはいえ自分でもしっくりきてなくて、学校に行ったらいろんな女子を口説くタイプの男子に非常に残念がられたのだった。なんなら数年後に母親にも長い方がいいよと言われた。なんなんだ。
というか、高校の時も「前のくるくるの髪(パーマかけてた)もよかったじゃん」と切った時に人から言われ、ア〜これ遠回しに似合ってないって言われてんな〜〜って感じだった。どんだけ短い髪似合わないんだよ!!ロングの方がやっぱ可愛いんかな?!?とちょっと呪いを受けて、そこから大学3年くらいまではずっとロング〜セミロングを行き来してた。大学3年でなんかもう全て嫌になってボブにしたけど。ボブならまだいけるかなって、そこで少し呪いは解けた。
就職が決まった時、ボブ×パーマをしたらかなり評判がよく、一番似合う髪型はこれでは、、、?と思うほど。でもパーマは頻繁にはかけられないので、伸ばしてボブにしてパーマかけて、、、というのをちょっと繰り返した。
せいぜい短くしてもボブだったので、だからここまで短くするのは久しぶり。でもここ数年くらい "くびれショート" にずっと憧れてはいた。今年のやりたいことリストにあげてはいたものの、まぁクリアはできないだろうなぁとなんとなく思っていたくらい。イメージ的には『付き合ってあげてもいいかな』って漫画のミワというキャラクターの髪型にしてみたかった。
引っ越してきてからなんとなーくでずっと伸ばしていたけれど、好きな髪型にすればいいと思うよと言われたので、呪いを振り払って切ることにした。そういえば私、思い切りの良さが持ち味なんだった!就活のESでもそれを推してたんだったね!ってなんか思い出した。
顔が大きく見えるんじゃないか、、とか、持ってる服が似合わなくなるんじゃないか、、、とか色々と心配はあったけど、切ってみたら結構イメージ通りでニコニコしてしまい、あらゆる友達にLINEで写真を送りつけまくった。
いや〜〜短い髪は大きいイヤリングが映えますね!!!実はイヤリングコレクターなので、今つける時に選ぶのがとても楽しい。また新しいの欲しくなっちゃうわね、、、

それにしても評判がかなり良い。むしろ今の方がいいと言ってくれた人もいる。茶髪にした影響もあるのかもしれないし、結構カタチにもこだわって注文したのもあるかもしれないけれど、少し顔立ちがなんだかんだ変わって似合うようになったのかな、、、などと思っている。なんにせよ、かけられた呪いはすっかり解けました。バーカバーカ。
セットがめんどくさいのでは、、という心配もよそに、割と朝も大丈夫。切ってから一週間経って、ちょーっと丸くなってきたかも?と思ったりはするけれど、、、
ただもう少し伸びれば肩跳ね祭りなのは目に見えてるので、伸ばすか切るか。今後の進路を決めないといけない。

テコ入れによる感染

今の三大流行感染症といえば、コロナ、インフル、咽頭結膜熱(通称プール熱)ですが。

職場で喉風邪流行ってるな〜と思ったら私も喉がイガイガしてきて、これはもらったな〜と思った翌日に熱が上がってきて。と思ったら翌日咳は出るけど微熱だったので大したことない風邪だったな〜と思ったんですが、ただの解熱剤の効果があっただけでした。その日の夜明けごろに暑くて目が覚めて、手のひらから足の裏までホカホカしていて、寝ぼけ眼でも確信したね。これはまずいやつだって。体温測ったら39.1度でヒェ〜〜〜って。何回もやったから知ってる、これ、知ってるやつ、、、と思いながら暑くて眠れない夜をなんとか解熱剤で凌いで、朝職場を休んで検査へ。

インフルエンザ、A型ですね。

病院へ行っている時は解熱剤の効果で微熱だったけど、家に帰って頑張って朝ごはんににゅうめん食べて、もらった薬を諸々飲んだらホカホカグラグラしてきた。咳も結構出るし、鼻水もズルズル。でも3食の食後分で薬出てるから、ちゃんと昼も食べなきゃだし、、、と思ってたら寝ていたようで、昼は4時前に食べたのだった。
咳止めで出た混合粉薬を飲みながら、遥か彼方の小児喘息の発作を繰り返し、週1で通院していた幼少期に飲んでいた薬を思い出す。小さいから錠剤だと量が多いので、毎回すべて粉薬で処方されていたあの頃。そのため粉薬に何も抵抗がなく、むしろ「この薬は美味しいから好き!」「この薬はちょっと甘めなんだよ〜」などと幼稚園の先生に粉薬ソムリエのごとく話していて、母は「そんなのに詳しくならなくていいよぉ、、」と切なそうだった。
まぁあの頃があるから今こうして粉薬が処方されても抵抗なく飲めるんだろうな、と粉薬大キライな姉を浮かべながら思う。飲み方も錠剤になる前くらいには1人で上手に飲めるようになってたしね。プロですわ。もうアラサーだけど。
でもそんな元・粉薬ソムリエだった私でも、めちゃくちゃ苦くて苦手だったのが、インフルエンザのタミフルの粉薬で、あれが一番不味かったよな、、、と大人になった今でも思い出す。小4の時に初めてインフルに罹った時に粉薬で、中学で罹った時にカプセルが処方されて感激した記憶がある。あれは革命だった。飲みやすさが100倍違ったもんね、ありがとうカプセル、、、今回もらったのはタミフルではなくタミビルと書いてあって、調べてみたら同じものらしい。タミビルは後発医薬品なんだって。よくわからんけど。
ちなみにインフルエンザは小4、中2、大3の3回やってまして、今回で4回目です。割と罹ってるな。

でも、正直今回が一番しんどかったです。
だって、一人暮らしっていう大きなデバフがあるんだもの、、、、一人暮らしは最高ですが、体調不良時には大きなデバフに変わるの、人生のバグでしょ。勘弁してくれ。
ご飯は自分で用意しなきゃいけないし、普段自炊してるからレトルトとかあんまりないし、ご飯食べたらそりゃ洗い物も出るし、でも薬が3食分出てるから食べなきゃいけないし、洗濯もろくにできないのに溜まっていくし、、、、冷えピタとポカリのストックがあったのがまだツイてたよ。あれなかったらどうなってたんだろ。
関東だったら友達とかにお願いしてレトルトとか差し入れしてもらえてたりしたんかな、、とか思ってたら職場の後輩が「いつでも頼ってください!」と言ってくれてありがたかった。いい子、、、ギリなんとかなったので頼らずにすんでよかった。

検査した当日は寝る直前まで39度台で本当に死ぬかと思ったけど、翌朝起きたらアッサリ平熱に下がってたのでした。ピークが去った後の下降具合よ。いやありがたいけど!
今は喉の痛みも落ち着いて、高熱が去った後のボンヤリフラフラ感も軽くなって、あとはちょっと鼻が出るくらい。明日から出社です(働きとうない、、、でもインフルは嫌、、、)

ていうかノロウィルスやってからひと月も経たないうちにインフル罹ったんですけど。ノロって最長1ヶ月保菌する可能性があるらしいので、ひょっとしてノロとインフルを両方持ってたってこと、、、?!歩く病原菌じゃん!!!人間兵器?!
という冗談は置いておいて、、、にしても10月末にもシンプル風邪やってるし、2023年のラスト3ヶ月、免疫よわよわでは、、、、色々といい年だったから、最後に体調不良でバランス取ろうとしてる、、、?天からのテコ入れ、、?やめてください、、、、

来年の目標、健康になりそう。健康な身体があればいいよ、ほんと。BUMPもそう言ってるし。

走らない師走

釣りに行った先輩から魚を一匹いただいて、それをそのまま煮付けにしながら「そういえば魚を捌けるようになるって今年の目標だったな、、、」と思い出した。この魚は先輩の釣り仲間が下処理をしてくれていて、特に手を加える必要もなく(冷凍されてたので解凍くらい)そのまま煮付けの汁の中へダイブさせたのだった。
気づけば12月。師走ですね。
仕事的に12月が目まぐるしく忙しいってわけでもないので、早く年末にならんかな〜と日々ボンヤリ過ごしている。資格試験が1月にあるにも関わらずね。いや、さすがにそろそろやらねばならないんですが、やっぱこうなかなかね、難しいよね色々ね。ほんとにそろそろ今の仕事を続けるか否かを判断するべきなのはわかっているので、資格をとって少しでも余裕を持っておきたいところなのですが、、、思いの外自分の中で全然スイッチが入らないのに驚いてる。こんなに勉強しない人間だったっけ、、、ああ、修論とか確かにギリギリにならないと書き始めなかったな、、、、ちゃんとしたい、、、、
そろそろ今年が終わるっていうの、正直あんまり実感できていない。まだ体感9月くらいですね。もう普通にコート着てるの頭バグりそう。でも寒いし、、着るよねコート、、、、大学3年くらいの時から着てるお気に入りのグレーのロングコートがそろそろ薄くなってきている。なかなかこれを超えるのに出会えてなくて、一昨年買った紺のコートは形がちょっと特殊な上にめちゃくちゃ白い毛がつくので、、、いやそれでも気に入ってはいるので着てるんだけど。毎年ロングコートほしいな〜と思いつつ、毛玉だらけになって悲しい思いをしたことがあって、それを踏まえてちゃんとしたウールのやつにしようと思うとそこそこの金額する。なので今年はお見送りです。来年のお楽しみにしようっと。
とはいえもう少しでボーナスが出るので、なんとなく洋服をポコポコ買ってしまっているのだった。もういい大人なんだし、安物買いの銭失いはやめたいんだけど、、、、といいつつポコポコ買っている。よろしくない!よろしくないよ!今回のボーナスではいい加減ドライブレコーダースマホを買い替えねばならない気がする。それで全部消えちゃう、、、、?つらすぎでは、、、、?お金無限にほし〜〜〜10億円当てたい〜〜〜年末ジャンボ〜〜〜買ってないけど〜〜〜〜
そんなことを言ってるうちに煮付けがいい感じになった。胸ビレが取れたので、拾うついでに根元のお肉をたべてみるとフワフワで美味しい。大成功!実はこの一週間、胃腸炎にかかって食べたいものを自由に食べられなかったので、その分喜びがかなり大きい。どうやら旅行先の牡蠣に当たったようなのですが、私から数少ない冬の楽しみを奪う気かしら、、、牡蠣、、とても好きなのに、、、、まぁとりあえずはこの煮付けを思う存分食べましょう。

盛り付け、0点!!!
メジナだそうです。初めて食べたけど、フワフワでめちゃくちゃ美味しかった。明日のお弁当にも入れたったので、お昼の楽しみができた!
こういうちゃんとした和食も色々作れるようになっていきたいね。あと、来年こそは魚を、、、捌けるように、、、、なりたいね、、、、

アンドロメダ色の青春

この間の友人とのドライブで流れてきた、藤井風の『青春病』という歌のサビに″青春はどどめ色″ というフレーズがあった。どどめ色って何色?となって、調べると

どどめ色(ドドメ色、土留色)とは、その名前は知られているが正確な定義のない色。方言では桑の実、また青ざめた唇の色や、打撲などによる青アザの表現に用いられ、赤紫から青紫、黒紫を指す。(Weblio辞書より)

とあった。あんまりピンとこなかったのだが、先日仕事中に強打した膝のあまりにも鮮やかな青紫色を見つめながら、これがどどめ色かぁ、、、と思った。すさまじく強打したので中心の辺りがたんこぶになってしまい、なかなか治らず未だに痛みを感じるほどだ。学生の頃エスカレーターで滑って転んだことがあって、脛に広がった青アザをバイト先の友人に「アンドロメダみたいじゃない?!」と言って見せたら「そんなキレイなもんじゃない」って一蹴されたことを思い出す。アンドロメダの色がどどめ色なのかしら、、、、
とはいえ、青アザのような色として使われるのは関東の方言なようで、そもそもは正確な定義がない色だそうで。青春はどどめ色、、、
会社の他の部署に同じ高校の先輩がいて、たまたまゆっくり高校の話をする機会があった。おかしな伝統が数多くある学校なので、私たちが在学していた頃にあった伝統が彼の頃にもあったりなかったりしていて、私たちが入る前の形を思いがけず知ることができたりしてなかなか面白かった。ちょうど25年くらい上の先輩で、私たちの頃にはありえないような、時代を感じる青春の楽しみ方をしていたようだった。
彼らのような楽しみ方は私たちの頃にはないものだったけれど、私の高校時代の思い出は、人生史を広げたときに一際明るい色で書かれる3年間であることは確かだ。とはいえ彼も高校の話を楽しそうにしていて、それぞれ時代は違っても同じ学舎で楽しく青春を送っていたのだろうなぁと思った。
正確な定義がない、というのは人それぞれ思い浮かべる形が違う、ということなのかなと思う。青春はどどめ色。深い、、、、藤井風氏、さすがすぎる、、、、
大きな膝の青アザがだんだん広がりながら、中心から薄黄色になっていく。中心のたんこぶはまだ触ると痛いけど、アザの色はだんだん抜けていく。日々観察するのはちょっと面白い。もうミニスカートやショートパンツを履くような勇気はないので、布に守られた目立たないところで、アンドロメダのように色を変えながら治っていけばいい。