ぼんやりインソムニアもどき

 

思い返せば、悩みのなかった時なんてなかったかもしれない。年がら年中何かしらのことを思い悩み、楽しく過ごしていても頭の片隅には悩みがひっそりと存在している。しかも大体は考えたところでどうにもならないようなことばかり。解決策を見つけようと思うわけでもなく、ただただ片隅から悩みを取り出して、あーだこーだ考え込んでいるだけ。

そんな今までを過ごしてきたので、何も考えない瞬間も同様になかった。さすがに寝ている時は考えることから離れているように思うけれど、夢の中でも考えていることがあるのであんまりそうでもないのかもしれない。ただ、夢の中で考えていることは夢の中の的外れなフィクションに関することばかりなので、日頃の悩みからは解放されているといえるだろう。

ただ、眠りに落ちるまでが結構難儀だ。部屋を暗くして横になって目を閉じた時に、悩みを取り出してきてしまうと眠れなくなってしまうことが多い。何も考えない、ということが私には難しいので、代わりにくだらない妄想や当たり障りのないことをできるだけ考えるようにしているけれど、成長した悩みだとやっぱりどうしても片隅には収まらない。他のくだらないことを考える合間にも、悩みが邪魔をしてくる。そうしてまた、眠れない夜がやってきてしまう。ここで「眠れないなぁ」と思ってしまうと、それも悩みとなってしまって余計に眠れなくなるからよくない。

小学校低学年の一人で寝るようになったくらいの頃も、眠れない夜がよくあった。あまりにも眠れないと両親の寝室のドアを叩いて泣きついたものだ。その度に父がよく言っていた、目を瞑ってじっとしていれば人間は疲れが取れる、という説は本当なのかはよくわからないけど、眠れない夜の微かな光ではある。

ここ最近、結構眠れない夜が増えてきた。仕事のこととか将来のこととか割と壮大な漠然とした悩みが最近のトレンドで、人生に関わることなのでだいぶしっかりと思い悩んでしまうせいだ。先日なんか閉じた目がボンヤリ明るくなるのを感じて開けてみると、カーテンの隙間からうっすらと白い光が漏れていた。早朝じゃん、、、何回か眠れそうな波がくる時に「あっ!眠れそう!」って思ってしまうとまた覚醒してしまう。そういうことを繰り返すと空が白んでくるのだ。難儀〜〜〜

よくSNSで大の字になって呼吸だけに意識を向ける、などの入眠法を見かけたりするけれど、そもそもシングルベッドに大の字で寝ると手首から先がマットレスの外で宙ぶらりんになるしなぁ。そこに意識が向いちゃうから、あんまり成功できたことはない。あとよく聞くホットミルクは苦手だし、そもそも牛乳が冷蔵庫に常にないし。眠れない夜にお菓子を作るエッセイ漫画は好きで、よく読むけれど翌日に仕事があるから潔く「寝ない!!」という選択はできないのもまた難儀で。

眠れない時間を過ごしていると、だんだん身体が痛くなってくる。そんなことをしていると「眠れない夜」というフレーズで始まる、ねごとの『ループ』という曲が頭の中を流れ始めて、そこでスマホを開いて曲を流しちゃったりすると物理的な光でやられる。スマホの光ではなく、幼い頃に叩き込まれた父の教えという光に結局は縋るしかないのだ。

まぁツラツラと悩みに支配される夜について書いたけれど、これが最早ライフワークというか、付き合っていかなければならない私の性というやつなので。ただ、さすがに大きくなりすぎた仕事の悩みは、たまたま家族と電話する機会にバーーーッと堰を切ったように口から流れ出た。なんとなく笑い飛ばしてくれたのにどこか気が軽くなって、その夜はよく眠れた。意地を張って帰省しない期間が過去最長を越えていたけれど、やっぱり定期的に帰ったほうが心にはいいんだろうなぁ。

とはいえたぶんそこそこメンタルは図太いほうではあるような気はしているので、また眠れない夜を迎えてもなんとか乗り越えていくんじゃないかなぁとは思ってる。それなりに元気に。

ただ、他の人は眠れない夜をどう過ごしているのかなぁと、白んできたカーテンの外を見つめながら漠然と思ったりはした。他人の眠れない夜の過ごし方を聞けば、自分にその夜が訪れた時、なんとなく「私だけじゃない」って心強さをもらえるような気がしている。