小学生の頃はよく人を家に呼んでいた
仲のいい友達とローテーションで家を回っていた
中学になってからはそれがなくなった
なんか、部屋に人を入れるのが嫌になった
家に行きたいと言われても何かしら理由をつけて断っていた
だから、一人暮らしを始めてから人を呼ぶようになってもまだどこか慣れない
なんとなく気恥ずかしさを感じる
初めて一人暮らしの部屋に呼んだのは会社の仲のいい同期で、仕事終わりに泊まって翌日遊んだ
10年以上ぶりに人を部屋に呼んだので、どこかはりきってしまった私は餃子を作って振る舞った
いつもよりも味が濃くなってしまっていて、こんなはずじゃなかったんだけどなぁと恥ずかしくなった(おいしいって言ってくれたけど)
それから大学の学部の友達、サークルの友達、別の会社の同期など結構色々な人を呼んだ
院の同期は家がバスで来れるほど近いので、部屋着で来たりした
部屋に入った人たちが大体決まって言うのが「私っぽい」というフレーズ
まぁ確かに私の好きなパンダのぬいぐるみや雑貨が溢れているから当然ではあるのかもしれないけれど、他にも私らしさを醸し出す何かがあるのかもしれない
インターンで行った会社の人事が「趣味は人の部屋にお邪魔することです!」と言っていたのを思い出す
その人を作り上げるものが垣間見えて、より仲良くなれるからという理由だった
たしかに部屋は人を表す、というのはすごくよくわかる
それは数年前の大阪旅行で実感した
中学と高校の友達の家を渡り歩いて泊めてもらったのだけど(ありがとうございました)、最初の晩の中学の友達の部屋はすごい物が少なくてイメージ的には "無印良品" という感じだったのに対して、2日目に泊まった高校の友達の家は彼女が大好きなディズニーで溢れかえっていて、めちゃくちゃにカラフルで、本人も「友達に物が多いって言われるんだ〜」と言って笑っていた
二晩で対照的な部屋に泊まったその旅行で、今まで意識してなかった「人と部屋」という関係性を認めた
確かにそれまでに行ったことのある一人暮らしの家も、その人の個性が綺麗に出ている
大学の近くにあった一番通った友達の家はぬいぐるみがたくさんいて、雑に扱うと怒られたので私の中にもぬいぐるみは丁寧に扱うべきという感覚が刷り込まれた
植物が好きな友達の家はもちろん彼女が育てている植物たちでいっぱいだったのだけど、インテリアにも拘りが見えた
一緒に部屋に行ったチャラい同級生は「一人暮らしするとしてもこんな風にお洒落な部屋にできる?」と私を馬鹿にしていたなと思い出す
まぁお洒落な部屋という感じではたぶんないけど、私の好きなものを詰め込んだ城ではあると思う
昨日家に来た3人の高校のクラスメイトにも馬鹿にされることはなかったし
昼に帰った3人を見送った後部屋に帰ると、お、、なんか部屋が広いぞとベタな感想が浮かんだ
座椅子とかはまだないので改良の余地はあるけど、割と今自分の部屋は気に入っている
ただとりあえず、家に泊める人のキャパは3人までということはわかったので、以後よろしくお願いします