欲の捌け口

 

お菓子を作ることに、さして抵抗がないのはきっと母の影響だと思う。

先日の『グレーテルのかまど』はセサミ・ストリートのクッキーモンスターのクッキーがテーマだったのだが、彼がクッキーを好きになったきっかけはお母さんがよく作っていたことだそうだ。

そこから出演者たちが自分の母の味のお菓子は何かを紹介しあっていた。私が思い浮かぶ母のお菓子は、チーズケーキだ。

物心ついた時からよく母が作っていたそのチーズケーキは、いつも同じ味がした。完全なベイクドチーズケーキで、しっとりなめらか。どこを食べても美味しかった。

焼く前の卵と砂糖とクリームチーズを混ぜたハンドミキサーのビーター(回る部分)を手伝えば舐めさせてもらえたので、それ目当てによく手伝いをしていた。私のお菓子作りのルーツはそこからな気がする。

母は自分がおいしいと思ったもののレシピを作った友達から聞いて、それをメモに残して改良を加えながら今も使ったりしている。その中にお菓子のレシピも結構あって、チーズケーキ以外にもよく作っていたのがバレンタインで大活躍のトリュフだった。トリュフのレシピには私も幾度となく助けられた。学生時代のバレンタインはほぼほぼ毎年トリュフ。初めて一人で作れたお菓子もトリュフだったかもしれない。母も自信のあるレシピらしく、正直私もこれは他の誰にも負けないトリュフではないかと思う節もある。

中学までは年に一回、バレンタインに友チョコを作る程度のお菓子作り生活だった私は、高校に入ってからバスケ部のマネージャーになった。これは、お菓子作りが部活の一環になることを意味する。バレンタインはもちろん、クリスマスにもなぜか作る文化があった。バレンタインはすごかった。部員全員に渡すので、たぶん50個とか作ってた。こんなに作るならこれくらい誤差範囲だろうと言いながら、クラス全員のチョコも同時に作るなどしていた。そんな規模になるともうラッピングもしていられないので、基本的にタッパーに入れて直接食べてもらっていた。クリスマスは部員にだけ作っていたからまだマシだと思っていたが、それでもパウンドケーキを2本は焼いていた記憶がある。

そんな大がかりで半分義務のような状況でも、お菓子作りに対して負の感情はなかったので、割と進んで色々と作っていた。

ちなみに教育実習に行った時、このお菓子作りデイに加えて部員一人一人の誕生日にもお菓子を作ることになっていてたまげてしまった、、、そこまでお菓子作りに比重が置かれると最早悪しき慣習にさえ感じてしまうが、先生もひとつどうぞと言われて美味しくいただいたので何も言えない。

 

これが大学に入ると途端に作る機会がなくなった。バレンタインの時期は春休みで顔を合わせる人もいないし、恋人も毎年いるタイプではなかったので、あんなにお菓子を量産していた年一イベが消え失せた。お菓子作りをしなくてもよくなった。

あれだけ作っていた生活から離れると、ふとした時にお菓子作り欲というのは割と自然に湧いてくる。大学生の頃は何かと理由を探して、作るチャンスを虎視眈々と狙っていた気がする。何にもない時に突然作ることもあった。そうすると大抵家族が喜んで食べてくれたので、私の欲が満たされた。

 

しかし、今は一人暮らしだ。お菓子を作ったら、自分一人で食べるしかない。一度ノリでレモンを買った際、うまい使い方が思い浮かばずに結局ウィークエンド・シトロンを作ったことがあった。お菓子も作りたかったし。その時は仲の良い先輩に配ったのだが、どこかでその話を耳にした上司に「女子力!って感じだね!」って言われ、「あ、これあんまり作ってこない方がいいな」となんとなく思ってしまった。ただ単に欲とレモンの消費活動の一環として作ったものに、女子力というレッテルは似合わないのに。女子力レッテルは媚びた色をしている。別に誰に対するアピールでもないのにね。

 

そんなわけで、職場に配る選択肢も消えた今、お菓子作り欲の捌け口は友人の来訪に向けられた。先日、試してみたいブラウニーのレシピが手に入り、うずうずしていたところに3人も遊びにくることになったのだ。

腕まくりをして材料を集め、意気揚々と焼いた。

 

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全然映えないし、てっぺんがちょっと焦げた。

切った後の写真は撮るのを忘れた。

 

ちょっと焦げたけれども、味は概ね好評だった。

 

ちょっと焦げたので、今はリベンジ欲が燃えている。