爽やかにゆれる

 

東京で住んでいた家は、日当たりが悪かった。南向きにも関わらず、前のマンションと上の部屋のせいで日が当たるのは冬の午前中だけだった。太陽の高さが季節ごとに変わるという当たり前のことを、身をもって実感した。内見に行って決めた時外観も撮影したのだが、見事に私の部屋だけ陰っていて友人に爆笑された。ソーラー電池式の腕時計は窓際に置かないと充電されず、しょっちゅう止まってはあり得ない時間を指す時計に毎度ギョッとさせられていた。

その上車がよく通る道に面しており、入り口の木が2階の私の部屋までニョキニョキと伸びていて、防犯的に心配だった。ベランダは、都内の一人暮らしをするような物件の相場的には広い方ではあった。それでも、浴室乾燥機がついていたため、外で洗濯物を干したことは一度もなかった。

 

日当たりのいい南向きの今の部屋。青くて高い秋の空の日差しを遮るように、物干し竿にタオルをかける。隣の一軒家は大体私よりも早く洗濯物をだしていて、私がねぼすけであることが筒抜けになってしまっているような気がしてバツが悪い。それでも、洗剤の爽やかな匂いが目の前に広がって、風と共に揺れる洗濯物を見るとなんだか気持ちがいい。

どうやら私は、洗濯物を干すのが好きだったようだ。実家でも干していたのだが、目の前がアパートだった実家よりも今の家での洗濯の方が気持ちよく感じられる。先日夏物の布団類を一気に洗った。

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一度に全てきちんと干せたことに、なぜかかなり感動してしまい写真を撮る始末。ちなみにこれはヨギボーに横たわったままのアングル。東京の家の浴室乾燥機では、何日間に分けないと干すスペースがなかった。生ぬるい浴室乾燥の風を思い出す。

何かの折に、あの部屋のことを思い出すことが増えた。これはつまり、思い出す場所になってしまったということだ。あの空間にいないから。もう存在しないから。思い出の中の場所になってしまったのだ。

日当たりは悪いし、せまいしちょっと古いし、コンロは一口だったけれど、あの部屋がとても好きだった。とても好きだったんだ。街も好きだった。好きな場所がたくさんあったし、好きなお店もたくさんあった。遥か遠い場所になってしまったけれど、今でも好きだ。

とはいえ、インプラントのメンテナンスのためにあの街の歯医者には通い続けなければならない。今月の頭に初めて引っ越してから行ったのだが、早めに着いてしまったために少しぶらぶらすることに。街並みはまだ引っ越して3ヶ月ほどだったのでほとんど変わっていなかった。異動発表時に書いた記事に登場したブティックはまだ閉店セールをしていた。見慣れた街の、見慣れた道を歩く。見慣れたマンションの前。あのマンション。そこだけ陰るあの部屋。

知らないカーテンが、かかっていた。

Uターンして戻る。それはそうだ。退去する時点で、もう次の入居者が決まっていたのだから。当たり前のこと。

頭の中で蘇るあの部屋が、あの空間が、もう頭の中だけのものになっている。思い出す時も、ボンヤリと段々靄がかかってきている。

一年半だけだもんなぁ、あの部屋で暮らしたの。きっとどんどん忘れていく。大好きだったって気持ちだけを残して。

この気持ちだけ残っていれば御の字というやつでしょうか。

すっかりと乾いた夏の布団類をケースにしまう。また新しい土地での知らない季節が、すぐそばまで来ている。